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近世英文学史(1)

 以下、近世英文学史のレポートです。ところどころ訂正しています。

近世英文学史

はじめに
 このレポートは、16世紀から18世紀にかけての英語の劇文学の展開について概説したものである。ここでは、時代区分として16世紀、17世紀、18世紀の三つの章に分け、その流れを記述したい。

1 16世紀の劇文学
 16世紀の初期に存在した劇は、15世紀末に流行したMorality(道徳劇)やInterlude(間狂言・幕間劇)と本式な劇との中間に位置する、なかば風刺的であるか、または簡単な道化芝居のようなものが多い。Moralityとは道徳的な抽象概念が擬人化された「Virtue(美徳さん)」や「Pride(誇り君)」が登場し、彼らの対話を通じて、人々に道徳や精神を伝えようとする劇である。一方のInterludeは道徳劇から派生したもので、劇と劇との合間(Interlude)に行われたことから、その名がつけられた。また、この他にMiracle(奇跡劇)と呼ばれる、聖者の奇跡や聖書の中にあることを演じる、いわゆる宗教劇が盛んに行われた。
 16世紀の半ば頃になると、古典文学の影響から、PlautusやTerenceなどラテン喜劇を模倣した英語劇が行われるようになった。これらはHumanists(人文主義)の作品が多く、制作に携わった大部分が学校の教師であった。教師であったNicholas Udall による“Ralph Roister Doister”が、ローマ喜劇のテクニックに基づいて書かれた最初の喜劇だとされている。
 そして、16世紀半ばから後半にかけて、常設の芝居小屋がロンドン及びその周辺に作られるようになった。この頃になって、芝居らしい芝居を行える条件が整い、そこから劇作家という職業が生まれた。この頃の劇は「イギリス・ルネサンス演劇」と呼ばれる。中世期の詩文による小説が劇化されたものが多く、歌謡など種々の文学的活動が劇の中に包含されているところに特徴がある。この頃、道徳劇や宗教劇などは活気を失い、それに代わってルネサンス文学の影響による史劇がさかんに行われた。当時活躍した作家として、“Tamburlaine the great”や“Doctor Faustus”を著した、情熱的で男性的な作風で知られるChristopher Marlowe、それに対し女性的な、“The Woman in the Moone”を著したJohn Lyly、“The Spanish Tragedy”で人気を博したThomas Kyd が挙げられる。彼らはケンブリッジやオクスフォードといった一流大学を出た作家で、大学才人と呼ばれている。
 16世紀末には、William Shakespeareによる劇が流行する。彼はヨーロッパにおける最高の作家と言われ、多くの名作を世に残している。喜劇では“A Midsummer Night’s Dream”、“As You Like It”など、悲劇では“Romeo and Juliet”、“Julius Caesar”、“Hamlet”など、史劇では“1,2,3 Henry ?”、“Richard?”などが代表作として挙げられる。また、彼は問題劇と呼ばれる喜悲劇も得意とした。
 このようにShakespeareの演劇は多岐に渡っているが、これらの作品にはtoleration(寛容さ)、humour(ユーモア)、humanity(人間らしさ)の要素が一貫して現れていると西脇は述べている(西脇1977,pp.25-8)。

2 17世紀の劇文学
 17世紀初頭に人気を得た作家として、前世紀に引き続きShakespeareと、そして彼にやや遅れて登場したBenjamin (Ben) Johnsonの名を挙げることができる。イギリス・ルネサンス文学では、その劇作法は二種類あるといわれ、西脇によると、それはShakespeareの作品に代表されるromantic dramaと、Johnsonの作品に代表されるclassical dramaに類するものである。Classical dramaはAristotleやHoraceの劇作理論より発する、フランスの影響を受けて作られた。Classical dramaの特徴は、一つ目はplace、action、timeの統一を目指したことである。そして二つ目はShakespeareが喜劇と悲劇の要素をひとつの劇に盛り込んだのに対し、classical dramaは、それらの要素を区別して、ひとつの劇に混入しないというところにある(西脇1977,p.24)。なおJohnsonの喜劇は“comedy of humours”といわれ、人の愚行や奇癖を扱うsatire(諷刺)の劇である。彼の代表作は、“Every Man in his Humour”や“Cynthia’s Revels”である。
なお、この時代はJames?(文字化け)世の治世であったため、当時の劇は彼の名前からJacobean dramaと名づけられた。当時の劇作家はJacobean dramatistと呼ばれ、それには先述したJohnsonやShakespeareが含まれる。
Benと並び、この時代に名乗りをあげたのがJohn Donneである。Donneはエリザベス時代に流行したPlatonic love、つまり精神的な愛に関して書くのを避け、女性や愛を諷刺的に扱う傾向を示した。彼の代表作に“Songs and Sonets”があるが、それには彼の哲学的・分析的な態度が現れており、その表現形式はmetaphysical symbolismと呼ばれている。
 17世紀の半ばになり政権がCharles?(文字化け)世に移った頃、Puritan(清教徒)の勢力が拡大し、正教徒であるJohn Miltonが文学の中心となる。彼は近世英詩発達史の中できわめて重要な存在であり、ルネサンス文芸運動の生んだ文人と言われている。Miltonは道徳宗教について大胆な検討を行い、それに基づいて精力的な劇作を行った。当時の代表作として“Paradise Lost”、“Samson agonists”などが知られている。
 Charles?(文字化け)世の治世である17世紀後半、正教徒の勢力が衰退し、これまで閉鎖されていた劇場が復活した。そしてRestoration dramaという劇が流行した。これは、真面目すぎた清教徒たちへの反発として生まれた、享楽的・不道徳な喜劇である。舞台もこれまでの英国劇のものと比べて豪華で、英国劇史上、初めて女優が舞台に登場したことが特徴である。このRestoration dramaの中心人物はJohn Drydenである。彼は当時の宗教、政治、社会、文学を論じる詩を書き、その多くをsatireとして残した。

3 18世紀の劇文学
 18世紀、再び演劇は活気を失うこととなる。これは1737年に「検閲法」という法律が公布され、多くの劇場が閉鎖されたためである。その結果、劇作家は小説家へと転向していくこととなった。というのも、小説のほうがより多くの収入を得ることができたためである。しかし、すべての演劇が禁止されたというわけではない。この時代Ballad opera(俗謡オペラ)やDie Dreigroschenopera(三文オペラ)と呼ばれるものが庶民に受け入れられ、成功を収めた。だが、相島の記述によると、全体的に見てイギリスにおける演劇は半世紀以上、70年にわたって低迷している(相島 1994,p.117)。
 しかしこの時代にも優れた劇作家は存在している。Oliver Goldsmithは、「われわれは笑うことを忘れてしまったのではないか」という反省から「笑える」喜劇を復活させようとした。彼の代表作である“She Stoops to Conquer”は、軽いタッチの喜劇で、下品さを取り除いた荒唐無稽な復古劇である(相島 1994,p.117)。
 Goldsmithとならんで活躍したのがRichard Brinskley Sheridanである。相島によると彼の演劇の才能はGoldsmithよりも豊かであった。代表作に“The Rivals”や“The School for Scandal”などがあり、これらの作品は、機知とユーモアと諷刺が適度に混ざり合っている(相島 1994,p.118)。この他にも、“The Beggar’s Opera”などcomic opera(軽いタッチの喜劇的なオペラ)に影響を残したJohn Gayが存在する。

4 まとめ
 16世紀から18世紀に至るまでの劇文学の流れをこれまで俯瞰してきた。この数世紀の間にイギリスの劇文学は、幾度にもわたる隆盛と凋落を経験している。16世紀の前半に、英語による劇文学が産声をあげ、この世紀の後半のエリザベス時代に、Shakespeareの登場によって劇文学は開花した。しかし17世紀初頭、成長期にあったピューリタンが宗教的道徳面から劇場が閉鎖し、演劇は凋落の傾向を見せる。17世紀後半、ピューリタンの衰退につれ、再び演劇が流行しRestoration dramaが隆盛を極めたが、18世紀に入り、牧師Collierが齎した検閲法により、劇文学はその後70年にも及ぶ低迷が続くこととなったのである。
 字数の関係上詳細の記述までは及ばなかったが、以上をもってまとめとしたい。

参考文献(二次文献)
相島倫嘉(1994)『イギリス文学の流れ』、南雲堂
神山妙子編著(1989)『はじめて学ぶイギリス文学史』、ミネルヴァ書房
川崎寿彦(1986)『イギリス文学史入門』、研究者出版
川崎寿彦(1988)『イギリス文学史』、成美堂
西脇順三郎(1977)『近代英文学史』、慶應義塾大学出版会株式会社

私は書いたレポートを、読み直したりはしませんでした。
ですから、誤字脱字が多いです。
「カント」を「間と」としたまま放っておいたのを見つけました。
今考えると、かなりみっともない。卒論も、誤字脱字のオンパレードでした。
卒論は3ヶ月程度で終えましたが、その後誤字を直すのが酷く苦痛でした。