慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

教育学(1)

 教育学なんですが、私はジョン・デューイを取り上げました。教育学の文献では、多くの人に「教育の原点」として考えられているルソーの『エミール』が有名なのですが、『エミール』は上・中・下があるので読むのが大変です。一方、デューイの『経験と教育』は薄くて分かりやすいです。なので、私はこちらのほうをおすすめします。

経験と教育 (講談社学術文庫)

経験と教育 (講談社学術文庫)

 この課題に取り組む前に、まずは高校倫理の参考書を読み、デューイがどのような人物かを把握した上で、デューイの『経験と教育』を読むといいでしょう。きっと分かりやすくなっていると思います。でも、教育学は評価の厳しい科目なので、4回前後のやり直しは覚悟しておいたほうがいいかもしれません。実はこの科目は、4年位前は楽勝科目だと言われていました。でも今は困難科目です。差が激しすぎます。決して慶應修士を舐めているわけではないですが、教育学専攻以外の学生がこの課題でレポートを書くと、半数以上がDをゲットするんじゃないかと思っています。ちなみに、私は何度もDを食らった後、4回目くらいでやっとBを頂けました。
 ところで、この論文を書くときに押さえておきたいキーワードに「プラグマティズム」があります。かなり簡単に言うと、考えるよりも行動を重視した哲学なんですけれども、それがどのようなものかを理解しておくことが必要です。
 (ところで、この文章は24日の深夜に一部訂正しています。)

教育学


はじめに
 現代の教育思想に大きな影響を与えた人物のひとりとして、我々はジョン・デューイを挙げることができる。彼が教育において果たした功績は非常に大きく、『学校と社会』、『民主主義と教育』や『経験と教育』など、多くの著作を世に残している。
 このレポートは、彼の著作である『経験と教育』から、彼がどのような人間観、知識観、教育論を持っていたかについて明らかにすることを目的としたものである。この文献で彼は伝統主義とは異なる新しい教育、即ち「個人の経験に基づいた教育」を行うことが必要であると述べ、そうした教育によって民主主義が達成されるのだと主張している。ここでは、その「経験」という言葉を中心に彼の思想がどのようなものか説明していきたい。


中略


まとめ
 以上において、デューイの人間観、知識観、教育論について述べてきた。彼は、人間を周囲の環境と相互に影響を与え合う有機的存在とし、それには経験が大きな役割を果たすとした。その上で彼は、生徒の成長の阻害する旧教育ではなく、生徒の経験を次の可能性につなげてゆく新教育の学習法を支持した。この新教育は民主主義の理念と通じたものであり、そこでは「快さ」とは異なる、自らが共同体の一員として自覚する「善さ」が大切であるとされる。 
 ところでデューイの思想は教育において大きな貢献を与えてきたが、その一方で「這い回る経験主義」という不名誉な評価も為されてきた。それは、活動や生徒の興味関心を重視しすぎるあまり、学問知識の体系的な獲得が困難になると考えられたためである。このことに対して、デューイは『経験と教育』において、向こう見ずな新教育を行う教育者を諌め、そして、経験を拡散させ、混沌としたものにしないようにするために「知識の組織化」の重要性を説いている(デューイ 2004,p.134)。
 体系的に知識を獲得することは非常に重要である。現在行われている「ゆとり教育」はデューイの思想による影響が大きいが、それは知識のインプット一辺倒を避け、そのアウトプットに重点が置かれている。そのため、発表の機会として総合学習の時間が設けられている。発表を行うには、まず言語能力という土台を築いた上で、グラフなどの数を扱う能力、社会・理科の知識をバランスよく、つまり体系的に身に付けることが必要であると私は考える。これらのうちのいずれかが欠けていると、それを上手に行うことはできない。
 しかし教育現場では、アウトプットの機会は設けられたものの、授業時間や内容の削減により、アウトプットに至るまでの充分な知識や経験を生徒に与えることができていないのではないかと私は考えている。今後の教育においてその点について見直す必要があるだろう。


参考文献
杉浦宏(1962)『デューイ教育思想の研究』、刀江書院
田浦武雄(1984)『デューイとその時代』、玉川大学出版部・教育の発見双書
デューイ、ジョン(市村尚久訳)(2004)『経験と教育』、講談社学術文庫
村井実(1978)『「善さ」の構造』、講談社学術文庫