慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

レポートの書きかたに関するtips(1)

1.歴史系科目の引用
 私は歴史系の科目は得意ではありません。その理由は、他の科目と比べて引用が難しいことです。私は「レポートが引用の羅列になっている」と指摘された経験があるのですが、それは、レポートに書くべきことの殆ど全てを、テキストの記述に頼らなくてはならないからです。私たちは論文やレポートの記述には、その根拠を示すように指導されています。しかし、歴史系の科目の場合、レポートに書くことの殆ど全てが、テキストに書かれていることになります。
 私は歴史系のレポートを書いたとき、レポートで書いているところが、テキストのどの部分を引用、もしくはパラフレーズしているか、ということを逐一書いていきました。しかし、その結果「レポートが引用の羅列になっている」という評価が与えられました。おそらく、こうした指摘を受けているのは私だけではないと思います。そこで、歴史系のレポートに関して私が思っていることについて書いていきます。
 史学の文献は、大きく分けて二つの要素から成り立っています。それは(1)歴史的事実、と(2)個人的見解です。
 (1)歴史的事実というのは、「1941年に真珠湾攻撃を切っ掛けに太平洋戦争が起きた」とか、「1600年、岐阜県の関が原の合戦で、東軍(徳川)と西軍(毛利・石田)が戦った」のように、疑う余地の殆どないことの記述です。
 一方、(2)個人的見解と言うのは、あまり明らかになっていないことに関して、個々人がどう考えているかです。例えば、日中戦争に関して、日中戦争が起きたと言うことは明らかなことです。しかし、南京大虐殺でどれくらいの人が殺害されたかに関しては、今でも議論されています。「南京大虐殺では100万人が殺害された」と考える人もいれば、「殺害されたのはおよそ10万人ではないか」と考える人もいます。「南京大虐殺で殺害されたのは、30人だ」と考えている人もいるかもしれません。
 で、この(1)歴史的事実に関しては、引用をつけるのは、極力控えめにしたほうがいいと私は思っています。「○○氏によると、1600年に関が原の合戦が行われた…。」というのは不自然です。
 しかし(2)個人的見解に関しては、引用は必要だと思っています。個々人によって見解がことなるものは、誰がなんと言ったのか明らかにする必要があるからです。ただ、(1)歴史的事実においても、着眼点がユニークである場合は、引用をつけてもいいんじゃないかと思います。


2.文末について
 特にレポート書き始めの方、もしくは理系の方にあてはまると思うんですが、「〜である。〜である。」のように、文末を同じ言葉で終えてしまうことって、ありますよね。私もしょっちゅうです。文章的にはおかしくなくとも、書いた後で見直してみると、ちょっとマズいかなと思ってしまいます。このことは、「〜である」の他に、動詞や形容詞を持ってくることで解消できます。
 例えば、動詞で終わる場合、前のレポートを例にとると、「〜多くの著作を世に残している。」、「〜更に知的な経験に結びついてゆく。」、「彼はそうした「とりひき」から経験が生まれると考えた。」、のように。
 また、形容詞で終わる場合、「『である。』の羅列は非常に拙(つたな)い。」のような書きかたがあります。
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