慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

文学(2)

 さて、何事もなかったかのようにブログを再開します。『阿Q正伝』とはどのような物語でしょうか。wikipediaから引用します。なお、私はこの小説を読んでいないので内容は知りません。

 時代が清から中華民国へ変わろうとする辛亥革命の時期、中国のある小さな村に、村の半端仕事をしてはその日暮らしをする本名すらはっきりしない日雇いの阿Qという男がいた。彼は金も家もなく、女性にも縁がなく、字も読めず、容姿も不細工という村では最下層の存在で、村の閑人たちから馬鹿にされている立場であった。だが阿Qは非常にプライドが高く、<精神勝利法>と呼ばれる独自の思考法を持っており、どんなに罵られようが、日雇い仲間と喧嘩して負けようが、結果を都合の良いように取り替え心の中では自分の勝利としていた。ある日、阿Qは村の金持ちである趙家の女中に劣情を催し、言い寄ろうとして逃げられた上に趙の旦那の怒りを買い、村民からまったく相手にされなくなる。彼は食うに困り、盗みを働き、村から逃亡同然の生活を続ける中で、革命党が近くの町にやってきた事を耳にし「革命」に便乗して意味もわからぬまま騒ぐが、逆に革命派の趙家略奪に加担したと無実の疑いをかけられ、弁明すらできず哀れ銃殺されてしまう。
ウィキペディア阿Q正伝

 これが『阿Q正伝』の要約です。

 作者の魯迅は学生として日本に留学し、東北大学医学部(当時の仙台医学専門学校)で解剖学を学んだ。ある日教室で、日露戦争における中国人露探(ロシア側のスパイ)処刑の記録映画を見、同胞が銃殺される場面に喝采する中国国民の無自覚な姿に強い衝撃を受けた。これを契機に魯迅は中国の社会改革と革命に関心を深め、医学から文筆を通じて中国人の精神を啓発する道に転じた。最後に処刑される阿Qの記述は、中国人露探の処刑とそれを見物する中国人観衆の様子を反映している。
ウィキペディア阿Q正伝

 論文では魯迅が(1)国民と(2)辛亥革命(及び革命軍)をどのようにとらえていたかについて、物語などから読み取ることが重要だと思われます。