慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

卒論はじめの一歩(0)

 このブログで書くことは気分次第です。今日は卒論について書きます。「卒論とは一体何か」ということなんですけれども、神戸女学院大学内田樹先生のブログにとてもわかりやすく説明されています。

(6) 執筆上のご注意
なによりもまずご理解いただきたいのは、これはたぶんほとんどのみなさんにとって生涯に書く最初で最後の「学術論文」だということです。
これまで書いてもらったものは「レポート」です。「論文」ではありません。
「レポート」と「論文」はどこが違うか、わかりますか?
「レポート」は「私はこれだけ勉強しました」ということについての「報告」で、提出先は「先生」です。ふつうは先生ひとりしか読みません。
先生はそれをぱらりと読んで「ほ、75点」「ふん、83点」とか点をつけます。成績表を見た学生さんが「この点数の積算根拠についてアカウントを求めたい」というようなことを言ってこられても、こちらは「そんな昔のことは覚えちゃいないね」と『カサブランカ』のハンフリー・ボガードのように遠い目をするばかりです。
なにより「レポート」は「これだけいっしょうけんめい勉強しました」ということを誇示するのがおもな目的ですので、参考文献をたくさん読んで、そこに書いてある内容を「これでもか」と言うほど引用すれば、けっこうなスコアがもらえます。
オリジナリティとか、新説とか、そのようなものは「レポート」には求められません。
そこが「学術論文」と違うところです。
「学術論文」は逆に「それしか」求めません。
他の本に書いてあることを糊と鋏で切り貼りして「一丁あがり」ともってきたら「レポート」で100点もらったけれど、同じペーパーをそのまま卒論に出したらは0点だった、ということは(理論上は)ありえます。
そこに「何も新しいもの」がなければ、0点をつけられても学者は文句を言えないのです。
諸君は学会というようなところに行ったことがないからご存じないでしょうけれど、そこでは「まだ誰も言ったことのないこと」を言うために学者たちが集まってきて、論文を読み上げて、さかん議論をしています。
そして、質疑応答のときに、「あなたのそのホニャララ説なるものは、すでに別の学者によって発表されている」という指摘がなされたら、それで「アウト」です。即、退場。
内田樹の研究室『卒論心得

 私の持っている卒論の考えは、上にある引用と同じです。慶應通信には勉強好きの人が多いです。でも、テキストなどの文献にある内容を吸収する段階で限界で、卒論で求められている、新たな知識(新説)を生み出すところまで届かない、という方が多くいらっしゃるようです。
 でも、新説を生み出すのはかなり難しいです。でっち上げればどうにかなる、とおっしゃる先生もいますが、簡単にでっち上げられるものではありません。私自身、このことに非常に苦労しました。
 では、そんなときどうすればいいか。先生に「何か卒論のアイデアはありませんか?」と聞いてみると、何か得られると思います。