慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

論文型かレポート型か、その課題の見極め(5)

 ずっと、なおざりにしたままだったなと思うことがあり、過去の日記の続きを書きたいと思いました。『論文方かレポート型か、その課題の見極め』という、このブログのおそらく中心であろう記事の続きです。まず、過去の記事を下に載せておきます。

論文型かレポート型か、その課題の見極め(1)
論文型かレポート型か、その課題の見極め(2)
論文型かレポート型か、その課題の見極め(3)
論文型かレポート型か、その課題の見極め(4)

 で、論文は『歴史哲学』を参照したいと思います。
 歴史哲学の課題は、以下の二つについて記述することが求められています。
(1)ヘーゲルの歴史における自由と必然の関係について述べる。
(2)ヘーゲルとプレハーノフの論点の違いを明らかにする。
 この二つに関して、起承転結のどれが当てはまるか、ということなんですが、これらのことは、既に議論されたことであり、レポートの書き手自身の解釈を挟む必要はありません。なので、この2つは「承(=旧情報)」に分類されます。このレポートは、転(=筆者の解釈、新情報)のない、起承結の形で書きます。では、どのようにして書いていくのか、(どのようにして私が書いたか)を以下で書いていきたいと思います。
 私は、この二つのことを記述するのに、3つの章を設けました。(1)を第一章と第二章に振り分け、(2)を第三章で書きました。この章の振り分けに関しては、個々人の裁量です。

はじめに
第一章 歴史の自由と必然とは何か
第二章 必然と自由の両立
第三章 ヘーゲルとプレハーノフ
おわりに

 まず第一章では、歴史の自由と必然について説明しています。でも、いきなり自由と必然について説明すると、初めて読む人にとって分かり辛くなるかなと思い、最初に彼の歴史観の大まかな姿を記述しています。
(i)ヘーゲルが世界をどのようなものとしてとらえたか(重要キーワード「世界精神」の説明)
世界精神における世界史の支配には、以下の二つの側面が見られます。
(ii)歴史における必然の説明(人々は、みんな自由になっていくという普遍の法則がある)
(iii)歴史における自由の説明(でも歴史は個々人が好き勝手に動かしている)
 続いて第二章では、この自由と必然は分断されたものではなく、矛盾なく両立していることを説明します。
(i)ヘーゲルによると、自由と必然は相互浸透している。その言葉を引用。
(ii)英雄ナポレオンの行為の自由としての側面と必然としての側面を述べる。
(iii)その二つの側面は、実は「理性の狡知」によって繫がったものである。
 最後に第3章で、ヘーゲルとプレハーノフの違いについて述べます。
(i)プレハーノフの紹介と、ヘーゲルとの共通点
 以下では、両者の違いにスポットを当てる。
(ii)ヘーゲルによると、ナポレオンは世界精神の傀儡と考えた。
(iii)一方、プレハーノフは、ナポレオンを社会(生産関係)を見通す人物であると評価。


 このように、課題で問われていることをどのように書いていくか、あらかじめ漠然とマッピングして書いておくと、割かしレポートが楽にかけます。そのためには、しっかりと参考文献などを読んでおく必要があるのですが、一般の課題では、それほど文献を読む必要はないです。あらかじめ高校倫理の教科書や、ナツメ書房の図解雑学シリーズを読んでおくといいでしょう。