慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

大学からの英語

 大学で勉強する英語は、高校の勉強と大きく異なります。高校では、主に発音や英文読解、英作文を勉強します。授業時間の殆どがセンターを意識した英文読解に割り当てられます。
 しかし大学になると、これまで勉強してきたこととは大きく異なって、英語と関連していろんなことを学びます。例えばシェークスピアなどの英文学や、その歴史である英文学・米文学史、言語と社会の関係を学ぶ言語社会学、言語そのものに注目した音声学、二つ以上の言語を比べる比較言語学、いろいろです。
 特に大学では、英文学(史)や言語社会学に関する講義が多いように思います。後者に関して、過去に「英語学概論&現代英語学」を書きましたが、こうしたことを学ぶのはとても楽しいです。
 言語社会学について勉強をすると、高校まで習ってきた英語で「間違っている」とされてきたことが、必ずしも「間違っている」とは言い切れないことがわかってきます。
 例えば、高校まではこの表現は、適切ではないとされています。
This girl cute.
 どうしてこの表現が適切でないのかというと、girlとcuteの間に、be動詞のisが入っていないからなんですが、意外なことかもしれませんが、黒人にとってみれば、これは適切な英語であると言えます。米国は多民族国家で、人種やルーツごとに異なった英語を使っています。中高ではWASPによって使われる英語を習いますが、大学では、それだけではない黒人英語やクレール英語というものも存在するんだということを知らされます(といっても日本にも方言があるし、わからなくもないことなんですが)。
 言語は、正しいものと間違っているものの境目が非常に曖昧です。例えば、和歌山方言で「今日はサッカーをする」という場合「今日ははサッカーをする」といいます。つまり和歌山県民にとって「今日」は「今日は」です。しかしなぜか「昨日はは」や「明日はは」という言葉はありません。「(お)菓子」のことを「(お)かしん」と言います。なぜか「ん」が余計です。理由は分かりません。私は母が「お菓子」という言葉を使っていたので「おかしん」とは言ったことがありませんが、「今日はは」は深く和歌山に定着しています。
 他の例として、ある先生がおっしゃっていたことなんですが、昭和半ばまで「犬に餌をあげる」というのは不適切な表現でした。犬は自分よりも下の存在なので同等の者に対して使う「あげる」ではなく、「犬に餌をやる」が正しい表現だとされていたらしいです。現在では違和感は全くありませんが、時代が進むにつれて間違った言葉が正しい言葉へと変化していきます。
 こうしたことを知っていくにつれ、言語は生き物なんだなと感じるようになりました。