慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

社会構築主義(1)

 「卒業論文+α」というカテゴリをつくりました。「卒業論文で、知っておくと損はないんじゃないかな」という知識です。内容は文学部1類(哲学、社会学、教育学)中心で、そこそこ専門的です。まずは、社会構築主義について書いていきましょう。
 まず、社会構築主義とは一体何か、ウィキペディアから抜粋したいと思います。面倒なのでリンクははりません。

「社会構築主義の理論」
 社会構築主義の焦点は、個人や集団がみずからの認知する現実(reality)の構築にどのように関与しているかを明らかにすることである。このため、さまざまな社会現象が人々によってどのように創造され、制度化され、慣習化していくかが問われることになる。社会的に構築された現実は、絶え間なく変化していく動的な過程として捉えられる。現実を人々が解釈し、認識するにつれて、現実そのものが再生産されるのである。バーガーとルックマンによれば、全ての認識は、日常生活の常識扱いされ軽視されているものまで含めて、社会的相互作用を基にして構築され、維持される。人々は相互作用を通じて、互いの現実認知が関連していることを理解する。そして、この理解に立って行動する時、人々が共通して持っている現実認知が強化される。この常識化した認識が人々によって取り決められると、意味や社会制度が客観的現実の一部として現れるようになる。この意味で、現実とは社会的に構築されたものである。
 社会的構築主義に立つ理論家にとって、社会的構築物とは、それを受け容れている人々にとっては自然で明白なものに思えるが、実際には特定の文化や社会で人工的に造られたにすぎない観念を指す。
『社会構築主義

 これはどういうことか、簡単な例を用いるとニートがそうです。ニートというのは労働、職業訓練、学業に就いていない人(特に15歳〜34歳)のことをさします。テレビや雑誌、本、ネットなどでいろいろ指摘されており、現代日本において、大きな社会問題となっています。
 しかし、ニート自体はここ10年だけではなく、それよりもずっと前からいたはずです。では、どうして現代になってそれが問題となったのかというと、それを問題視する人がいたからです。ニートを問題視する人がいて、何らかのメディア(テレビ・雑誌など)に訴えかける(問題提起)ことを発端として、様々なメディアが相互参照して(テレビ→ネット、ネット→雑誌という方向で似た情報が行き交って)、その過程で人々の頭の中で、「ニートは社会問題だ」と認識されるようになるのです。
 つまり、社会問題は人々の頭の中で構築されるものなのです。たとえそれが現実的なものでなかったとしても。


 社会構築アプローチは、「社会問題」とされているものの研究に利用されます。特に「ゆとり」「不登校」などの学校問題、「ADHD」「アスペルガー」「鬱」といった医療問題、ほかに障害者にまつわる諸問題などがそうです。
 こうした問題は、たいてい白黒つけがたいグレーな位置にあります。例えば、ADHDアスペルガーは、もちろんそれが明確な人はいますが、たいてい問題視されるのはグレーな位置にいる人です。『大人のアスペルガー症候群』(佐々木正美他:こころライブラリー)や『それって、大人のADHDかもしれません』(星野仁彦:アスコムBOOKS)などは、それが明確に現れてる人を対象としたものではありません。むしろ、「社会生活がうまくいっていない」と感じている人に買わせようとした本です。買わせ、読ませることによって、読者をグレーから黒に近づけようとしています。

 まぁ、だいたい社会生活でうまくいかないのはたいてい誰でも経験することですし、コミュニケーションのミスなんて誰にでもあります。(読んでないので推測ですが)こうした感じの本にはチェックリストがあり、「幾つ当てはまればアスペルガー」みたいなことが書かれています。その中にはアスペルガーでなくても当てはまるチェックボックスもあるのですが…。
 社会構築アプローチから「ADHD」や「アスペルガー」を分析しようとした場合、どういった雑誌が、どのようにこれらの病気を問題化(社会問題化)させようとしているのか、そこにどのような言葉が使われてるのか、言説(含レトリック)の分析を行うことになるでしょう。