慶應通信! r.saitoの研究室

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19世紀・20世紀のフランス文学(2)

 19世紀のフランス文学は、やり方によってはやさしくなる科目でした。勉強のやり方は・・・。
(1)漫画を読んで、大体の内容を知る

赤と黒 (まんがで読破)

赤と黒 (まんがで読破)

(2)原作を読んで、漫画に書かれているところを探す
赤と黒〈上〉 (岩波文庫)

赤と黒〈上〉 (岩波文庫)

赤と黒〈下〉 (岩波文庫 赤 526-4 9

赤と黒〈下〉 (岩波文庫 赤 526-4 9

(3)とりあえず、まとめる。
 私は小説は殆ど読まない人間です。そんな人間はいきなり原作を読むと諦めます。
 それから、小説などを基にしたレポートは、大体1400字を要約に使います。その本を読んだことのない人に説明するようにです。そうすれば、高い評価を得ることができますし、字数稼ぎにもなるでしょう。

十九世紀のフランス文学

はじめに
このレポートは、スタンダール(Stendhal 1783-1842)著『赤と黒』(Le Rouge et le Noir)の主人公であるジュリアン・ソレルの特徴に関して論じることを目的としたものである。これはブルボン朝復古王政により再び貴族が支配する世の中になったフランスで、ジュリアンが自らの才能と策略により僧侶、貴族と出世していく物語である。平民出身の主人公を通してスタンダールは、貴族や聖職者の堕落した姿を映し出そうとした。では、このジュリアンとはいかなる人物なのであろうか。このことを描き出すために、まず第1章ではジュリアンのナポレオンに対する憧れについて、第2章ではジュリアンの持つ知性と精神力の強さについて、第3章ではジュリアンが愛についてどのように考えたかを記述したい。

第1章 ナポレオンとジュリアン
 ジュリアンの最も大きな特徴として挙げられるのが、ナポレオンを賞賛し、そして自らもナポレオンのように大人物になりたいと憧れていることである。ジュリアンは「青白い、またあんなにやさしい、女の子のような顔」という容貌とは裏腹に、胸に野望を秘めていた(スタンダール 1958a:58)。それはどのような野望か。タイトルの『赤と黒』の「赤」は軍服を、「黒」は聖職者の衣装を意味しているが、これは当時のフランスで最も位の高い職業である。ジュリアンはこうした職業につき、名誉を獲得しようとしたのである。しかしナポレオン失政後、兵隊になり武勲を立てることで大きな収入を得るのは困難となった。そこで自らが僧侶となり、出世の階段を登っていこうとしたのである。40歳の僧侶の年収は十万フラン。これはナポレオン軍の給与の3倍である。ジュリアンこうした思いを持ったのは、彼が貴族ではなく百姓あがりの材木屋の息子であったことが大きい。王政復古後の社会では、能力ではなく生まれによってその後の生い立ちが決定されてしまう、しかしナポレオンの時代では実力しだいで道が開ける。名もない一中尉のボナパルトが世界の主となったように、自らが僧侶になることで名誉を獲得しよう決意したのである。このようにジュリアンは「立身出世がかなわぬならむしろ死を選ぼうと」するほど、興奮しやすく熱情的な人物であった(スタンダール 1958a:58)。

第2章 ジュリアンの知性と精神力
 ジュリアンは知性に富み、そして逆境を跳ね除ける精神力を持つ人物として描かれている。まず彼の知識に関して。彼は僧侶になるという自らの野望を叶えるために、シェラン司祭の下で必死にラテン語と神学を学んでいる。聖書を暗記していることはヴェリエールの人々を驚かせ、家庭教師として大きく評判を呼んだ(76-77)。またこうした知識はブザンソンの神学校の人々をも驚かすことになる。神学校のピラール校長がジュリアンに試問したところ、教父たちの教義については答えられなかったものの、その他の聖書に関しては博識であった(スタンダール 1958a:348-349)。後に行われる学科に関しての知識も非常に優秀であり、どの試験も1番か2番であった(スタンダール 1958a:401)。このようにジュリアンは自らの野望のためには努力を惜しまない人物であると描かれている。
 しかし、時に彼の野心は周囲の人々に不信を招くことが多かった。なかでも彼の師であるシェラン司祭に対しては、心のうちを見透かされていた。シェラン司祭の許で許された晩餐会では、シェラン氏がジュリアンを優等生であると紹介したところ、その場のはずみかジュリアンはナポレオンを熱情的に讃美してしまった(スタンダール 1958a:59)。またそれだけではなく、ジュリアンがレナール家の小間使いであるエリザから求婚を断った際、シェラン司祭は以下のように述べている。「わしにはどうも残念ながら、あんたの心の奥底には何か一つ暗い熱情がひそんでいて、そのために僧侶となるにはどうしても必要な、あの節制と、現世の幸福に執着を断つことができそうに思えない。(中略)僧侶になったときのあんたを思うと、わしはあんたの救いのことが心配でならぬのだ」(スタンダール 1958a:99-100)。この司祭の言葉に感銘しジュリアンは涙を流したが、僧侶の道に進む彼の心に迷いはなかった。
 また、このように知性に富むだけではなく、ジュリアンは精神的に非常に屈強な人物である。彼はラ・モール公爵から軽騎兵中尉という位を獲得するまで、幾つもの困難を乗り越えてきている。彼の人生の転機を挙げるとそれは3つある。一つ目がレナール家の家庭教師となるとき。二つ目がブザンソン神学校の入学。そして三つ目がラ・モール公爵の秘書となったときである。その転機ごとに彼は地位を獲得するチャンスを逃している。レナール家では家庭教師として地位を固めつつあったが、下女であったエリザの嫉妬を買い、レナール家から追い出されることとなる。その次はブザンソン神学校で優秀な成績を収めつつも、ピラール校長と対立していたカスタネード副校長らの工作により、聖職者になることが不可能になってしまう。そこでピラールの紹介により、公爵であるラ・モール公爵の下で秘書として活躍する。はじめはジュリアンを見下していた公爵の娘であるマチルドは、ジュリアンの才能に引かれ子供を身ごもるようになる。これに対しラ・モール公爵は大いに怒るが、マチルドの家出も辞さぬ覚悟などから、ジュリアンに箔をつけようと軽騎兵中尉の資格を与えるに到る。しかし、間もなくブザンソンの聖職者たちの策略により職位を失い、その策略に不本意にも加担してしまったレナール夫人に銃を向けた罪として彼はギロチンにかけられるのだが、このように度重なる困難にもめげず立身出世を目指そうとすることのできる屈強な人物であることが伺える。

第3章 ジュリアンにとって愛とは何か
 最後にジュリアンが愛についてどのように考えたのか、ということについて考えたい。ジュリアンの他者に対する愛は二通りある。一つ目は、自らの野望を叶えるための愛、つまり偽りの愛。そして二つ目は本来の意味での愛である。
 ジュリアンは父(老ソレル)や兄から仕打ちを受けてきたという過去から愛というものを知らずに育ってきた。そのため、当初愛というものを自分の出世の道具としか見てこなかった。ジュリアンと深く関わる女性としてレナール夫人とマチルドの二者が存在するが、ジュリアンはこの両者に対して出世のための愛を与えている。しかしジュリアンは後にレナール夫人と愛し合っていることに気付き、本当の愛とは何かを考えるに到る。自分が殺してしまったと思っていたはずのレナール夫人が生きていることを知り、その夫人と再会したときのことである。二人は接吻を繰り返し、お互いのことを赦しあった(スタンダール 1958b:514-516)。
一方、マチルドに対して注いでいた愛は、レナール夫人のものと比較して、それに及ばないものであった。マチルドに対する愛は、自らの野望である赤服、つまり軍人になるための手段でしかなかったのである。

おわりに
 以上がジュリアン・ソレルの特徴である。女性のように華奢な体つきでありながら、ナポレオンのような大きな野心を持っているこの青年は、自らの知識と精神力にて貴族社会へと溶け込むようになった。しかし、貴族や僧侶たち支配階級の腐敗を目にしたことによって、貴族の世界に身を浸すことを拒絶するようになる。そして、レナール夫人射殺に関する裁判において、貴族によって不正に裁かれる、つまり生きながらえるよりも潔く死を選んだのである。以上が『赤と黒』の主人公であるジュリアン・ソレルの特徴である。

■ 参考文献
スタンダール桑原武夫生島遼一訳)『赤と黒(上)』、岩波文庫(1958a)
スタンダール桑原武夫生島遼一訳)『赤と黒(下)』、岩波文庫(1958b)