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英語学概論

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英語学概論

はじめに
世界では、様々な言語が話されている。日本では、日本語のほかに琉球語アイヌ語などがあるものの、こうした少数民族の言語は殆ど使われることがないため、日本は単一の言語社会であると言える。しかし海外では、一国内で複数の言語が使われている国が多い。例えば、ベルギーではフラマン語ワロン語が、スイスならフランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語が使われている。その中には、複数の言語を喋る人々が多く存在し、彼らは時と場合、そして内面的な意図によってその言葉を使い分けている。
 ここでは英語が多文化社会においてどのように使われているかということを明らかにすることを目的としている。そのため、言語を単に情報を伝えるための道具としてではなく、ある言語、ここでは英語を使うことがある場面でどのような意味を持つのかという、いわゆるメタ的視点に立つ。
そのために、第一章では、一国内における二つの言語の使い分けに関して述べる。そうした社会では、言語は上位のものと下位のものに分かれるが、それがどのように分かれるか説明を行う。第二章では、多文化社会の下では、ドメイン(生活領域)において異なる言語が用いられるが、どのようなドメインで、どのように英語が用いられるのかを記述する。しかし、一つのドメインの中で複数の言語が用いられることがある。第三節では、どのような目的で、どのように言語のスイッチングが行われるかについて説明を行いたい。

第一章 ダイアグロッシア/ポリグロッシア
社会言語学の用語の一つに「ダイアグロッシア」と呼ばれるものがある。これはファーガソン(C. Ferguson)によって提唱されたものであるが、「二言語変種使い分け」を要する社会を意味する。また、それ以上の言語の使い分けが行われる社会は「ポリグロッシア」と呼ばれる。そのダイアグロッシアの特徴として、東は以下の4つを挙げている。
1 同じ言語であるものの、その中のかなり違った二つの変種が社会で使われている
2 二つの種類は、高級(High)な変種とそうでない(Low)変種に分けられる
3 この二つの変種が使われる場所、状況がはっきり決まっており、お互いが同時に同じ場所、状況で使われることはない。
4 高級な(High)変種とは家庭で母語として習得されたものではなく、後で学校などで学ばれた変種である。(東 1997:18)
「高級」と「低級」という言葉についてだが、それは言葉の難易度によって決まるものではなく、また難易を決めるのは言語学的にナンセンスなことである。ここで価値の高低を決めるのは、その国がある組の植民地であった場合、宗主国の言語が高級なものとなるように、社会的な背景が存在する。また「高級」な言語はフォーマルかつ堅苦しい印象を与え、一方「低級」な言語はインフォーマルであるが親しみやすい印象を与える。では、どのような場面で「高級」もしくは「低級」の言葉が用いられるであろうか。
「高級」な言語が用いられるのは、フォーマルとなる場面である。例えば教会での説教や議会演説、政治家のスピーチ、大学での講義、ニュース番組、新聞の社説、文学作品などである。その一方、「低級」な言語が用いられるのは、召使への言葉、家族や友人、同僚との会話、メロドラマ、民話などである(東 1997:18)。
英語圏において、こうした二つの言語の切り替えが見られるのが、イギリスのスコットランドである。低地スコットランド母語としている人は、比較的堅苦しい場面では、(訛が見られるものの)標準英語を用いる。低地スコットランドに住む者は、学校で標準英語を習うが、この二つの言語は同じカテゴリーに属すものの、新しい単語の習得や新しい発音の習得、既知の単語をもう一つ別の既知の単語に置き換えることの習得が必要なため、日本の方言のように簡単に切り替えられるものではない(トラッドギル 1975130-132)。
ところで、この二つの価値基準であるが、変動のある国とない国がある。モロッコにおけるアラビア語は安定しているが、イギリスにおける英語の価値は幾度も変動している。ノルマン人の征服によってフランスが隆盛を極めたときは、フランス語が高級な言語であった。その後、英語がフランス語をしのぐようになり、英語が高級な言語となった。このように、かつてのダイグロッシアが消滅してしまった、というケースも存在するのである(東 1997:20)。

第二章 ドメイン
 ドメインとは、領域を意味する。どの活動範囲において、どのような言葉が使われているのか、ということが意味する。時間、状況、人間関係などの要素を含めた私たちの活動範囲をさす言葉であり、このドメインによって、どの言語が使われるかが決定される。
フィッシュマン(J. Fishman)によると、このドメインには以下の5つがある。それぞれ家庭、友人関係、宗教、教育、雇用関係である。雇用関係を例として挙げると、プエルトリコにおいては、英語とスペイン語が使われるが、仕事、つまりフォーマルな場では英語、家庭や友人関係(インフォーマルな場)ではスペイン語が使われる。また都市部と田舎でも言語の使わけが行われており、パラグアイではスペイン語とガラニ語(アメリカ・インディアンの言葉の一つ)が使われるが、都市部ではスペイン語とガラニ語の両方が、田舎ではガラニ語が用いられている。
 しかし、このドメインの理論には限界が存在する。それは、一つのドメインに複数の言語が使われることがあるためである。日本語で離し始めたかと思ったが、途中で英語になり、また、いつの間にか日本語に戻っている、というのがそれだが、このように二言語話者が母語と外国語を混ぜて使うことは「コードスイッチング」と呼ばれる。以下で、このコードスイッチングについて述べたい。

第三章 コードスイッチングの必要性
東は、コードスイッチングの種類として、以下の4つを挙げている
(A)場面、状況、話題が変化するにつれて起こるコードスイッチング
(B)メンバーシップを確立するために使われるコードスイッチング
(C)聞き手と話し手で生まれるお互いの権利や義務についての交渉するための手段としてのコードスイッチング
(D)二つの言語のうちどちらの言語を選ぶべきかわからない場合に、どちらの言語にするべきか見極めるために用いるために使われるコードスイッチング
以上の4つである。そこで英語がどのように用いられるか、記述したい。なおこの場合、アメリカにおける英語とスペイン語の二言語でのコミュニケーションの例を挙げる。
まず(A)の場合について説明したい。例えば役場において、職員と利用者の両方が知り合いであり、ともにスペイン語母語であるとする。役場は公的な場所であるので、基本的には、両者のやり取りでは高級の英語が用いられるが、受付で行われる些細な雑談「お元気ですか?」などはスペイン語で行われる。
次に(B)に関して。これは共通語だけではなく、特定の人種に固有な言語も同時に使うことによって、共通語だけの社会ではなく、特定の人種グループにも属しているのだという意識を確認するためのコードスイッチングである。英語の中にスペイン語を交えることによって、自らの民族性を維持するのである。
つづいて(C)に関して。聞き手と離しての間で生まれるお互いの権利や義務について交渉するための手段として、コードスイッチングが行われる。“we cord”、“they-cord”というものがアメリカの移民社会に存在するが、前者は心理的距離を近づけるもの、後者はそれを離すものとして用いられる。例えば、“Come here. Come here. Ven aca.”と、このように親しみのあるスペイン語を利用するのは、心理距離が近づけ、交渉を有利に進めようとするためである。逆に、“Ven aca. Ven aca. Come here.”のようにスペイン語から英語へのスイッチングは、それは心理的距離を遠ざけ、相手を突っぱねようとする意図を表している。
最後に(D)に関して。これは、対話する人物に対してどちらの言語を選ぶべきかわからない場合、どちらの言語にすべきか見極めるために使われるコードスイッチングである。久しぶりに話すものに対し、まずは英語とスペイン語の両方をまぜて対話を行うことで、どちらの言語で話せばスムーズなコミュニケーションが行えるか、推し量るのである。
なお、こうした場合、言語能力がないために、スイッチングするということはない。そして、(B)におけるコードスイッチングであるが、話者には二種類の言語を使い分けているという意識がまったくない場合が多い。ニューヨークのプエルトリコ移民の間での会話では、スペイン語と英語の間のコードスイッチングが頻繁に起こるが、自分でそうしたスイッチの切り替えを行っているという感覚が、殆どいない。そのため、二言語話者にとって独立した一つの言語と考えることができるのである(東 1997:34)。

さいごに
 以上が、多重文化下における英語の用いられ方である。アメリカなど複数の文化によって成り立つ国では、時と場合、そして会話の意図や文脈に沿って、二種類の言語がスイッチされている。大まかには、第二章で述べたように、フォーマルな場とインフォーマルな場によって、一つの国の中で「高級」の言語と「低級」の言語の使い分けが行われるが、それには限界が存在している。そこで第三章では、場にとらわれないスイッチングのあり方として、言語と心理との関係について述べた。我々の言語“we cord”はお互いの心を近づけ、彼らの言語“they-code”は遠ざける役割を持つ。そこで、二つの言語を使い分けることで、お互いの心理的距離をコントロールすることで、自らが意図する方向にコミュニケーションを移動させるのである。以上が英語におけるコミュニケーションのあり方である。