慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

新・地理学1(4)

 地理学の内容は、文化地理学とかぶります。文学部2類は難しいと言われますが、地理学と歴史哲学・史学概論を中心的に解いていけば、さほど難しくはなくなります。どの学部にも難しい科目と簡単な科目があります。一番難しいと言われる経済でも、簡単な科目の単位を選択すれば、さほど卒業は難しくないはずです。逆に、一番易しいと言われる文学部1類も、難しい科目ばかりを選ぶと苦難の道になります。
 私は、簡単な科目と難しい科目の割合が2:1くらいだと思っています。難しい科目は興味のある科目だったので、単位の取得に労力を費やしたことを無駄だったとは思っていません。しかしレポートを書く上で、自分の適性を知ることと情報を得ることは大切なことだと思っています。慶友会などで情報を得て、計画的に単位を取得しましょう。

新・地理学1(L)
はじめに
 このレポートは、米国のコンピュータ企業であるデル・コンピュータ社(以下、デル社)が1980年から現在まで、どのようなトランスナショナル化を経ているかということについて記述することを目的としたものである。そのためにまず第1章では、このレポートにおいてデル社を選んだ理由を、この会社の特色と併せて記述したい。続いて第2章では、デル社が世界のどのような場所に拠点を置いているかということを、図とともに示す。最後に第3章ではデル社の生産分業体制について記述したい。

第1章 デル社を選んだ理由
 このレポートにおいてデル社を取り上げた理由は、米国を代表するコンピュータ企業であると共に、世界においても絶大なシェアを誇るトランスナショナル企業の代表例であるからである。このデル社のコンピュータは世界各国で使用されており、世界第3位のシェアを誇っている。このデル社は日本をはじめとするアジアやヨーロッパ、オーストラリアや南米でも購入することは可能であるが、このコンピュータを製作しているのはテキサス州オースチンに位置する本社ではない。デル社は世界6ヶ所に生産の拠点を置き、そこから発注した国家に製品を輸出しているのである。デル社はカリフォルニア州オースチンに本社を構えており、パソコンの最終組み立てはそこで行われていた。しかし増え続けるパソコン需要に柔軟に適用するために、海外において完成品を作り上げ、そして輸出するシステムを構築している。
 このようにデル社は各地に生産拠点を形成しているが、もうひとつ大きな特徴を持っている。それは「Direct」戦略と呼ばれるものである。このDirect戦略とは、直販方式を採用することによって卸売業者や余分な輸送費を排除し、直接的に顧客に対して販売を行うのである。1990年代半ばから、2000年の初頭にかけて、コンピュータの受容は拡大した。現在1家に1台以上コンピュータのある家庭も珍しくないが、そうした中には高性能の製品を求める顧客も存在する。そうした顧客に対して商品知識を持った販売員が対応し、顧客の満足度を図るのである。そして現在ではデル社のサイトにおいてコンピュータを購入することが可能である。コンピュータのカスタマイズ、例えばハードディスクやメモリの容量、オプション製品は顧客が自由に選択することができる。受注したデル社は、顧客が住む国に近い生産拠点でパソコンを組み立て、発送を行うのである。このシステムをBTO(built to order)という。
デル社は以上の戦略を取ることによって余分なマージンを排し、その分の資金を新たな製品開発へと回してきた。現在多くの企業がこうした戦略を採用しているが、デル社はその先駆けであると言える。

第2章 デル社の海外開発拠点
現在デル社は海外40ヶ国に子会社を持ち、170以上の国と地域にて販売を行っている。この章では、デルがどのように海外に進出したかということについて記述したい。
デル社は1984年、マイケル・デルによって設立された。彼は資本金1000ドルを元手に、PC’s Limitedというブランド名でビジネスを行った。当初からデルはDirect方式によって販路を広げていった。2年後の1986年には業界最高速のコンピュータをコムデックス(米国で最大級のコンピュータの見本市)で展示したところ、多くの賞賛を得、その名が知れ渡るようになった。この年に30日間返金保障制度や出張修理サービスを導入した。その結果、デル社のビジネスは軌道に乗るようになる。
その翌年の1987年、創業からわずか3年でデル社は海外子会社をイギリスに設立する。そしてその後、4年間で11ヶ所に国際拠点を築いた。一方、当時日本の市場は日本企業が大きく根を張っていたので、市場に参入するのが非常に困難であった。そのためデル社が日本に法人を置くのは1993年になってからである。
ところで1990年代初期は、デル社は世界のコンピュータメーカーの中でのシェアは、25位であった。しかし1994年にはシェアを10位の2.4%に伸ばし、そして2001年では世界第1位の14.2%を達成している。それと共に、海外子会社の数を増やし、現在40社が存在している。このシェア増大の背景には生産体制の大幅な拡大と革新がある。
1990年初頭、デルはシリコンバレーやシアトル、日本、韓国、台湾、マレーシア、シンガポールなどに部品製造拠点を置き、フラグメンテーション過程を経て主力工場のあるオースチンに届けられる。そして、そこで最終工程を経て各国へと輸出されていた(図1)。
 2001年においてはパソコンの需要が増え、それに適応するため主力工場を6つに増やしている。米国はオースチンナッシュビルの2ヶ所、海外には、中国のアモイ(シアメン)、マレーシアのペナン、アイルランドのリメリック、ブラジルのアルボラダの4ヶ所である。これらの組立工場には、それぞれ供給戦略物流センターや部品納入業者が置かれており、そこから供給された部品が主力工場によって組み合わされ、コンピュータが完成する。そして、近隣諸国にコンピュータを効率的に発送される(図2、3)。
 では、日本の場合どのようにして製品が送られるのであろうか。これには以下のプロセスがある。
1 顧客がインターネットを経由してパソコンを注文する。パソコンの仕様はユーザが決めることができ、さらにオプション製品も同時に注文することができるため、一回の注文で必要なものを揃えることができる。
  ↓
2 顧客の注文が川崎市にあるデルの日本法人に届けられる。注文はデータ化される。注文品がデスクトップパソコンなら、そのデータがアモイにある工場「China Customer Center(CCC)」に届けられる。
  ↓
3 アモイの工場で生産が行われる。工場では、既に完成している部品を注文通りに組みあわせるBTOと呼ばれる生産体制が整えられている。そこではセルと呼ばれるブースの中で、二人一組による組み立てが行われる(セル方式)。
  ↓
4 完成した製品は、フェデラル・エクスプレスの物流網を通じて、成田市にあるロジスティクセンターに届けられ、そこから顧客へと個別に発送される。以上の行程を経て、6日前後で顧客へとパソコンが届けられるようになっている。

 では、どうして日本に送られてくるコンピュータが中国で生産されるのであろうか。その一つ目の理由は、人件費の削減である。生産地を米国から中国に移すことによって、はるかに安い賃金でコンピュータを製作することが可能になる。そして二つ目の理由は市場へのアクセスのしやすさである。1994年までは最終工程を米国で行っていたが、その一部を中国に移すことによって、東アジア、特に今後拡大すると考えられる中国の市場に適応しやすくなったのである。

第3章 デル社の生産システム
 次に、デル社の生産システムについて見てゆきたい。日本に送られてくるパソコンの最終工程は中国でなされるが、一つ一つの部品を見てみると、様々な国で作られていることがわかる。例えば、近年台湾ではハイテク産業が目覚しく、エイサーやアスースMSIといった企業が大きく成長している。それに伴い、このような企業に部品を供給する企業も台湾で増加しているが、こうした企業がつくる部品はアモイにも輸出される。それだけでなく日本や韓国、シンガポール、米国のシリコンバレーでも電子部品は作られ、それがアモイ送られ、そして一つの製品が出来上がるのである。
 パソコンを製造するためには様々な工程を経る必要があるが、現在コンピュータは「フラグメンテーション(産業集積間分業)」と呼ばれる分業を経て作られている。このフラグメントとは「断片」を意味する言葉であるが、杉浦章介はこのフラグメンテーションについて以下のように述べている「製造工程を多数の半自律的な工程に細分化し、空間的に分散した生産工程のサブユニットを再組織化し、新たな生産ネットワークを構築することを意味する」(杉浦 2009:39)。
ここでの「サブユニット」とは何を指すのか。コンピュータは大きく分けて「演算装置」、「記憶装置」、「入力装置」、「出力装置」から成り立っており、その各々をサブユニットと言う。演算装置はCPU、記憶装置はハードディスクやメモリ、入力装置はキーボードやマウス、出力装置はモニタやプリンタが当てはまる。サブユニットは半ば独立しており、大いに互換性や拡張性を含んでいる。このようにユニットごとに切り分けて生産を行うことを「モジュール化」という。モジュール化することによって、在庫を抑えつつ効率的にコンピュータを生産することが可能になったのである。デル社はその黎明期、IBM社製品と互換性のある商品を生産していた。そこで、機能的にIBM社を上回る製品を生産することで売り上げを伸ばしていった。そのためデル社は過去から一貫して互換性を重視しているのである。

さいごに
 このレポートにおいて、デル社が行ってきたトランスナショナル化について述べてきた。デル社は世界に6つの拠点を持ち、その中で日本はアモイで作られたものを輸入している。このようにデル社のコンピュータは国を跨いで送られてくるが、コンピュータのそれぞれのパーツも、中国を含め様々な国で作られている。デル社はこのフラグメンテーションと呼ばれる分業体制をもってコンピュータを製作しているのである。
 しかし近年、多くの企業が需要の高い中国へと進出している。例えばデル社はインテル社やAMD社のCPUを利用しているが、インテルは大連に、AMDは蘇州に工場を構えている。またハードディスクは日立製のものが使われることが多いが、日立も中国に工場を構えている。そのため、いずれは中国という一つの国内だけでコンピュータを完成させ輸出することになり、いずれはトランスナショナル性が薄れていく可能性があるのではないかと私は考えている。

□参考文献
杉浦章介『トランスナショナル化する世界−経済地理学の視点から』慶應義塾大学出版会、2009
デル,マイケル、フレッドマン,キャサリン『デルの革命−「ダイレクト」戦略で産業を変える』(国領二郎監訳、吉川明希訳)日経ビジネス人文庫、2000
ホルツナー,スティーブン『DELL世界最速経営の秘密』(二見聰子訳)インデックス・コミュニケーションズ、2008

□参考URL
DELL『デル株式会社(DELL JAPANの公式サイト)』(2009年11月23日閲覧)
URL=http://www.dell.co.jp/
根来達之『デルモデル:普遍性と特殊性』(2009年11月23日閲覧)
URL=http://www.f.waseda.jp/negoro/SupplyChain/Dell_model.html
Nikkei BP.net『デル、日本向けデスクトップ生産拠点を中国工場に集約』(2009年11月23日閲覧)
URL=http://www.nikkeibp.co.jp/archives/141/141898.html