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英文学史(2)

 今改めて読んでみて、3年前の自分はこんなこと書いてたのか…と思いました。もう書いたこと忘れてますからね。

ヴィクトリア時代の小説について、当時の社会背景なども考慮しながら述べよ」

はじめに
 このレポートは、ヴィクトリア時代の小説について、その中でどのように社会が反映されているかということについて述べることを目的としている。そのためにまず第1章において当時の社会背景について軽く触れ、第2章ではこの時代をリードした小説家であるディケンズ、第3章ではサッカレー、第4章ではブロンズ姉妹について、その特徴について記述したい。

第1章 ヴィクトリア時代の社会背景
ヴィクトリア朝は、イギリスの歴史の中で最も小説が読まれた時代である。この時代の小説の特徴として、産業革命がもたらした諸悪を糾弾したものが多い。例えば物質万能主義や都市の貧困化、犯罪の増加などである。しかしこの時代の小説の流行を支えた者は、産業革命によって時代の支配者となった新しい読者階級であるという矛盾がある。それは産業革命期に印刷産業が発達したためである。北欧から輸入された木材を加工しパルプにするという技術が確立され、印刷・製本のコストが低下した。その結果、広く書籍が流通するようになったのである。
読書文化をリードしたのは主に中産階級と呼ばれる人たちであるが、それだけではなく勤労階級にも読書は広まった。その結果、彼らの識字率は向上している。勤労階級が求めたのは小説の中でも、より低俗かつ安価な娯楽としてのものである。当時“penny dreadfuls”という別称で世慣れたものである。しかし、この時代の下層中流階級と上流階級の境界は曖昧であり、“novel”と“penny dreadfuls”の境界も曖昧である。この時代の人々は小説を通じて、様々な階級の文化を知ることとなったのである。

第2章 ディケンズ
 ヴィクトリア朝時代を牽引した小説家として、まずチャールズ・ディケンズ(Charles Dickens 1812-70)を挙げることができる。彼は中産階級底辺出身で、教育らしい教育を受けることなく育った。彼は12歳で靴墨工場に働きに出た後、やがて事務員となり、速記術を学び、貴社として新聞や雑誌に記事を寄稿し始めた。彼は自身の文章の中にユーモアやペーソスを交えるのが非常に得意であり、その記事は多くの人を魅了した。彼は自身の生い立ちから下層中流階級の人々が、何を見て喜び、何を見て苦しむかを心得ていた。彼の作品が人気を得たのはそのためである。『骨董店』(The Old Curiosity Shop 1840-1)は、少女ネルが、骨董店の経営に失敗した祖父を助ける物語である。ネルは祖父のために様々な苦労を重ね、最終的に追い詰められることとなるが、こうした作品は債務者の父を持つ自身の過去が反映されていると考えられる。このようにディケンズはあまり教養を持たない読者たちから大きな人気を獲得することに成功した。
 しかし、彼は人々に娯楽を提供するだけではなかった。第1章でも述べたが、ヴィクトリア朝時代は産業革命に伴って、様々な軋轢が生じた時代である。ディケンズは幼少時代様々な社会悪に晒されていたため、それを放っておくわけにはいかなかったのである。彼の中期作品『冷酷時代』(Hard Times 1854)はこうした時代の精神である物質主義、合理主義に対する警鐘となる作品である。主人公グラッドグランドは実業家である。彼はheart(ハート)を軽蔑し、hard(ハード)を唯一の美徳と考えて生きてきた。息子と娘の教育も自身にあたっても、愛情や同情などのheartを軽んじてきた。その結果彼らは偏った大人となり、二人とも悲惨な末路をたどる、という物語である。
 このようなことからディケンズは低層階級だけではなく、上流階級の人々にも、広く支持されたのである。

第3章 サッカレー
 ウィリアム・M・サッカレーWilliam Makepeace Thackeray 1811-63)はディケンズとは対照的に上流階級に属する人物である。彼はインド在住の高級官僚の息子として生まれた。教育を受けるために母国イギリスへと戻ったが、ディケンズと同じように作家の道へと進んだ。そこでサッカレーはジャーナリズムに寄稿を始めたのである。
 この時代のイギリスは中流階級が栄えた時代であったが、サッカレーはこの階級に属する人々の特徴をしっかりと掴み、それを小説に反映させた。この時代の中流階級の人々は、より自分を高貴な人に見せようと、服や喋り方について背伸びしていた。サッカレーはこうした人々を題材に「イギリスの見栄張族」(The Snobs of England1846-7)を著している。
 サッカレーのもう一つの代表作として『虚栄の市』(Vanity Fair 1847-8)がある。これはバニヤンの『天路歴程』からとられたものである。サッカレーは19世紀における上流階級、および上層中流階級に属する人々を「虚栄の市」にうごめく俗物であると捉えた。「主人公不在の小説(a Novel without a Hero)」という副題が添えられている通り、虚栄の市は「英雄(ヒーロー)」の存在しない国である。作品の時代背景はフランスのナポレオン軍をイギリスはウォータールーで破った、常識的に考えれば英雄的な時代である。登場人物の多くが、この戦争でナポレオンを破った将校たちである。こうした将校たちを「英雄」として捉えない点において、彼は反ロマン主義的な人物であると考えられる。

第4章 ブロンテ姉妹
 ブロンテ姉妹は長女のシャーロット(Charlotte Bronte 1816-55)、次女のエミリー(Emily 1818-48)、三女のアン(Anne 1820-49)の3人である。彼女たちはヨークシャー、ハワースの牧師館に閉じ込められて育った。その結果、シャーロットは結婚できたものに、エミリーとアンは結婚することなく、引っ込み思案であった。そのため彼女たちは狭い屋敷のなかでロマン的空想を広げていった。彼女たちの作品は、このような空間の中から生まれている。
 ここではブロンテ姉妹の作品の中で有名なものを二つあげる。長女シャーロットの『ジェイン・エア』(Jane Eyre 1847)と次女エミリーの『嵐が岡』(Wuthering Heights 1847)である。
 『ジェイン・エア』にはシャーロット寄宿学校や家庭教師の経験が反映されている。それには、寄宿学校でのジェインと妹たちとの経験が書かれているが、それは非常に苛烈なものであり、この小説のお陰でイギリスの寄宿学校の間で改善の努力が行われたという。
 また『嵐が丘』は、1件の田舎屋敷で孤児として育てられた、悪魔的情熱の持ち主ヒースクリフが、屋敷の主の娘に近親相姦的な恋愛感情を注ぎ込み、その結果、殆どの登場人物を破滅させていく物語である。この物語では、人間が社会的存在というより形而上的存在として書かれ、優れてロマン的な作品であると言える。

おわりに
 以上がヴィクトリア時代の小説の概説である。このレポートではディケンズサッカレー、ブロンテ姉妹について取り上げた。ディケンズは商工業の発達が、人々に温かい心を失わせたこと、サッカレー産業革命期の中流階級の人々の滑稽さを、そしてブロンテ姉妹は、家庭外の社会に対する恐怖心を描いている。このように、ヴィクトリア期は産業革命と密接に結びついた時代であったのである。

■参考文献
川崎寿彦『イギリス文学史』成美堂(1988)
船木満洲夫『英文学史佛教大学(1981)