慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

論文型かレポート型か、その課題の見極め(2)

2.承
 次は、「承」について書いていきたいと思います。この部分は、レポートでは中核部分です。私は、レポートを書いていた時、起に400字前後、結に400字前後を、そして承には3200字前後を割り振りたいかなと思っていました。
 また、論文においては、転と並ぶ重要な部分です。起に400字、結に400字を、承と転にそれぞれ1600字を割り振ります。


 で、この承には、この二つが含まれます。
(a)既に議論された内容
(b)考察するものの対象
 でも、それだけだと分からないので、以下で説明していきます。


(a)既に議論された内容
 これは一体何かといいますと、先行研究です。誰もが名前だけは知っているような、過去の偉い学者たちが述べたこと、もしくは、有名でなくても、既に自分と似たようなことを研究した人が書いた本の内容です。
 例えば、私は文学部だったので、哲学・倫理学のレポートを多くこなしました。ソクラテスプラトン、カント、ニーチェヘーゲルについて書いたものが多いです。
 また、経済学者や法学者、社会学者や文学者など、偉い人はめちゃくちゃたくさんいます。この部分は、彼らが述べたことを書くのです。レポートなら、それだけで3200字いきます。
 彼らは一体何を示したかというと、それは理論です。理論は、人間の社会や精神のあり方を計る物差しだと私は考えています。人間社会や人間精神は、非常に複雑で理解するのが難しいけれども、彼らが用意した理論(=フィルター)を通してそれを見ると、社会のある一面が(そこそこ)くっきりと浮かび上がってくる、というものです。
 例えば、社会学理論の一つに、「ラベリング理論」というものがあります。

 レイベリングとは「非行少年」「不良」「精神病」「犯罪者」「変質者」「落ちこぼれ」といった逸脱的な役割を一方的に押しつけることをいう▼14。
 レイベリング理論の創始者のひとりであるハワード・S・ベッカーによると、「社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人びとに適用し、彼らにアウトサイダーのレッテルを貼ることによって、逸脱を生みだすのである。この観点からすれば、逸脱とは人間の行為の性質ではなくして、むしろ、他者によってこの規則と制裁とが『違反者』に適用された結果なのである。逸脱者とは首尾よくこのレッテルを貼られた人間のことであり、また、逸脱行動とは人びとによってこのレッテルを貼られた行動のことである▼15。」つまり、レイベリングによって〈逸脱〉がうまれるというのだ。
 では、だれが規則をつくりレッテルを貼るのか。それはまず、政府・役所・組織などのフォーマルな統制者であり、専門家・医師・教師である。つまり、警察や鑑別所が「非行少年少女」を確定し、医師が特定の「病気」を宣告し、相対評価しなければならない教師が「落ちこぼれ」をつくりだす。また、マス・メディアが特定宗教団体を「狂信的集団」としてキャンペーンすれば、その信者たちは「狂信者」とみられてしまう。これはまた、一般市民やクラスメイト・親族・同僚などの集団の成員によってもなされることがある。たとえば、あだ名のように、あるひとつの特性だけをとりだして類型化してしまうこともレイベリングである。ラフなスタイルで昼間団地を歩いているだけで「変質者」とみられてしまうこともありうる。
野村一夫『ソキウス』「20 スティグマ論」

 つまり、人間性とは、その人の生き方よりも、周囲からのレッテルによって決められ、一度あるレッテルが貼られてしまうと、その人はそのレッテルのもとに考え方や行動パターンを形成するようになることを意味します。
 その例として、「不良」がよく用いられます。ひとたび「不良」と言うレッテルが貼られると、その人は不良という自己認識の下で行動を行います。「鬱病」も同じで、「鬱病」とレッテルを貼られると、その人はその認識に基づいて行動を行います(その行動は時として周りを振りまわすことがあるため、かなりウザいです)。


(b)考察するものの対象
 これは、そのまんまです。例えば文学科目ならば、とりあげた作品の、注目すべきところです。私は20世紀のフランス文学カミュ『異邦人』について書きましたが、着目すべき点である2部の裁判のシーンがどのようなものであるかを、承の部分に書きました。つまり、関心のあることについて、それがどのようなものか、概要を示せばいいだけです。
 社会学科目ならば、私は論文で中高生の携帯電話問題に関して一度書いたことがありますが、これまで新聞や本で、中高生が携帯電話を持つことに関してどのような記述がされてきたかを書きました。
 ところで、私は社会学に興味があるのですが、社会学の論文のアプローチは大きく分けて二つあります。
(1)理論を中心とする研究
(2)観察を中心とする研究


 (1)理論を中心とする研究は、ある事柄に対して、社会理論を当てはめる研究です。例えば、「鬱病女性の自傷行為」だとしましょう。まず、(b)考察するものの対象 がどのようなものであるかを書きます。過食、拒食、ネット中毒、薬物など、いろいろあります。
 次に、それを測る物差しである、(a)既に議論された内容 について書きます。ここでは、先ほど述べたラベリング理論を援用するとしましょう。
 この二つを書いた上で、「転(=新情報)」に進みます。


(2)観察を中心とする研究は、研究するフィールドを直接訪れ、観察するものです。
 例えば、香川県のN島という島で、猫を神様として奉るお祭り「猫祭り」があるとします。これもまず、(b)考察するものの対象 がどのようなものであるかを書きます。
・「猫祭り」の概要(文献などから読み解く)
 ・「猫祭り」の伝説…昔昔、嫌われ者だった猫を大切にしたら大漁になりました。島で猫が大切にされました。
 ・いつ行われるか…10月中旬。
 ・N島の人口、気候風土、産業など…千人くらい。瀬戸内気候、漁業と柑橘類の栽培が盛ん。
 ・観光客数…10万人。
 ・「猫祭り」で行われるイベント…島民(主に小学生)が千年続く伝統の「猫踊り」を踊る。
 ・トラブル…赤字続き。でも、伝統なのでやめれない。
⇒ここでは、「赤字が続いているにもかかわらず、どうして祭りが存続するか」を調査します。
次に(a)既に議論された内容について書きます。これは偉い人の理論ではなく、統計やアンケート、聞き取り調査、質問票など、分析手法の説明が当てはまります。
・誰に聞き取りを行うか…町長などの役員、祭りのリーダー、地域住民
・どのような質問を行うか
・アンケートにどのような内容を盛り込むか、また何人に配るか


 聞き取り調査やアンケートは、簡単なものではなく、高等なテクニックが必要です。そこで、それらをどのように行うかを、承で詳しく書く必要があります。
そして「転」へと進みます。


 次は、転について書きます。