慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

論文型かレポート型か、その課題の見極め(3)

3.転
 今回は転です。レポートにはないですが、論文においては重要なところです。そこに、どのようなことを書いていくのかということについて、お話していこうと思います。
 転のところに書いていくのは、旧情報を踏まえて生み出される新しい情報です。それには一体どのようなものがあるでしょうか。そのいろいろなケースについて見ていきます。


(1)理論を中心とする研究
 先行研究に対する批判です。マルクスとかサルトルとかニーチェとかジンメルとかルーマンとか…、そういった人の議論に対する批判も含みます。こうした偉い人たちの議論には、必ず批判的な意見を寄せている偉い学者がいます。おそらく哲学で一番知られている議論が、ヤスパースハイデガーの論争でしょう。
 また、社会学ではルーマンハーバーマスの論争があります。近代の哲学者の中で、最も世界に大きな影響を与えた1人にマルクスがあげられますが、それだけに、マルクスの議論に対しては人一倍多くの批判が与えられています。
 では、こうした議論にどのようにして批判をしていけばいいかということについて、それをここで2点挙げます。


(i)先行研究に対し、それを批判している人に肩入れする
 例えば、ルーマンの議論を批判するならば、ハーバーマスの文献を読む。ハーバーマスの批判をするならば、アクセル・ホネットを読む。政治的右派を批判するならば、左派の本を読む。そんな感じです。


(ii)偉人たちの研究が、過去のものであることを利用する
過去の理論がいつまでも通用するか、というと、決してそうではありません。
一時期、大学生の誰もが読んでいたマルクスも、既に過去のものとなっています。

 マルクス歴史観によれば、その時代における物質的生活の生産様式が社会の経済的機構(社会的存在)を形成し、同時代の社会的、政治的、精神的生活諸過程一般(意識)を規定するとしている。したがって、人間の意識と社会的存在との関係は、人間の意識がその時代における社会的存在(物質的生活の生産様式)を規定するのではなく、逆にその時代における社会的存在が、政治経済や芸術・道徳・宗教といった、同時代の意識そのものを規定するという関係が成立することになる。 人間の社会的存在を土台にして、その時代における意識を規定するという関係から、人間の社会的存在を下部構造、人間の意識を上部構造とよび、つねに時代とともに変化する下部構造のありようが、その時代における上部構造の変化を必然的にもたらすものとされた。このようなマルクス歴史観唯物史観という。

 マルクスの議論を現在に当てはめようとすると、かなり無理があります。そこで、どうすればいいのかというと、過去の偉人の議論において、現代に当てはまるところと、当てはまらないところを明らかにするのです。
 例えば現在は情報化社会、過去の対面的コミュニケーションが主流だった時代とは、少し異なっています。社会学者の中で、コミュニケーションを研究したものの中にゴフマンやハーバーマスなどがいますが、彼らが行ってきた議論を、インターネットでのコミュニケーションに当てはめると、いろんな発見があります。また、彼らの議論が当てはまらないところも出てきます。そういったことについて書いていくのです。


(2)観察を中心とする研究
 観察を中心とする研究は、前者と比べると比較的失敗するリスクが少ないです。転の部分で行うことは、インタビューやアンケートの結果の詳解、そして、そこから分かったことの記述です。観察を中心とする研究では、転の段階よりも、事前準備、つまり承の段階をきっちりとつめておくことが重要だといえるでしょう。