慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

慶應通信への入学準備(2)

前回は志望動機について書きました。何を書けばいいかおさらいしておくと、

1.自分の学びたい学問
2.自分の過去の経験
3.現状の説明
4.現状から、何を明らかにしたいのか
5.これからの展望

が書ければOKです。
次は、書評です。


2.書評
これも即席作成です。以下では、↓の本を読んだことにしています。

ケータイ・リテラシー―子どもたちの携帯電話・インターネットが危ない!

ケータイ・リテラシー―子どもたちの携帯電話・インターネットが危ない!

 本書は、中高生から得られたデータやインタビューをもとに、彼・彼女らが使う携帯電話によって起きる問題の事例を紹介し、その解決を目指して書かれたものである。ここでは携帯電話を、中高生と犯罪や性行為とを容易に結びつけるメディアだと見なしている。携帯に付されたメールやカメラ、インターネットの機能が、出会い系サイトや学校裏サイトなどの接触を容易にしているのである。
 携帯電話の危険性は、両親や教師の監視が届かない空間を作ってしまうことにある。そのため、子供が犯罪などに巻き込まれて悩んでいても、両親や教師がそのことに気づき、対処するのが遅くなってしまう。
また、多くの親はそれを単なる会話の道具としか見ておらず、「みんな持っているから」と子供からせがまれると、その危険性をあまり考慮することなしに買い与えてしまうのである。
 そこで筆者は、親に携帯電話の危険性を促すとともに、以下のリテラシー教育を提案している。それは学校がモラルを、そして家庭ではリスクマネジメントをと分担し、協力して携帯電話の使い方を教えること。そして、もし子供できたとき、どうマナーをつけさせるのかということを生徒に考えさせることが効果的であると筆者は記述している。
 本書での筆者の主張はとても共感できる。しかし私は、リテラシーとリスクマネジメントだけでは不十分なのではないかと考える。例えば、学校裏サイトは、教室という閉塞的な空間がネット上に生み出した、自由で匿名可能な空間である。そのため、リテラシーだけでは解決できず、教室とインターネット、この二つの空間を比較して考察する必要があるのではないだろうか。教室のあり方を変えることが、この問題解決の糸口になるのではないかと私は思う。



 まず、本を読む上で頭に入れておかなくてはいけないことは、あらゆる本の著者はただ何となく本を書いたのではなく、ある問題意識を持って書いたということです。

 本書は、中高生から得られたデータやインタビューをもとに、彼・彼女らが使う携帯電話によって起きる問題の事例を紹介し、その解決を目指して書かれたものである。ここでは携帯電話を、中高生と犯罪や性行為とを容易に結びつけるメディアだと見なしている。

 上の文を読んでいただくと、著者の下田先生が何を問題視していたか分かると思います。携帯電話を介することによって生まれる、中高生の性行為や犯罪などの問題行為です。これは下田先生に限らず、中高生のいるどの家庭でも悩みの種になっていると思います。
 また、これまでこの世界にはいろんな学者がいますが、彼らもいろいろ悩んできました。経済学者のマルクスは、資本主義の進展に伴う貧富の差の拡大を憂い、大著『資本論』を書きました。社会学者のハーバーマスは、行政による貨幣や権力の過剰な介入よる地域社会の解体(生活世界の植民地化)に気付き、『コミュニケイション的行為の理論』や『公共性の構造転換』を書きました。社会学者、アドルノとホルクハイマーは、自らがユダヤ系であったため、ナチスに殺されかけました。彼らは、どうして西洋文明は発達しているのに、ユダヤ迫害のような野蛮なことが起こるのかについて、『啓蒙の弁証法』に書いています。
 このように、本には必ず問題意識が存在しています。これは、小説などの文学作品も同じです。例えばカミュサルトルなど「実存主義」の作家の小説は、社会を反映しています。このことをまず押さえておくこと。


 次に書くのは現状です。どのようなことが問題になっているのかを書きます。文字数は限られています。簡潔に書きましょう。

携帯に付されたメールやカメラ、インターネットの機能が、出会い系サイトや学校裏サイトなどの接触を容易にしているのである。
 携帯電話の危険性は、両親や教師の監視が届かない空間を作ってしまうことにある。そのため、子供が犯罪などに巻き込まれて悩んでいても、両親や教師がそのことに気づき、対処するのが遅くなってしまう。
また、多くの親はそれを単なる会話の道具としか見ておらず、「みんな持っているから」と子供からせがまれると、その危険性をあまり考慮することなしに買い与えてしまうのである。



 次は、その問題に対して、筆者はどのように考えているか、どのような対策を講じれば、その問題が解決するかについて書きます。小説ならば、困難に直面した主人公の行動を書きます。

 そこで筆者は、親に携帯電話の危険性を促すとともに、以下のリテラシー教育を提案している。それは学校がモラルを、そして家庭ではリスクマネジメントをと分担し、協力して携帯電話の使い方を教えること。そして、もし子供できたとき、どうマナーをつけさせるのかということを生徒に考えさせることが効果的であると筆者は記述している。



最後は、課題の文献を読んで、
・自分が疑問に思ったこと
・課題の文献において、不十分だと感じるところ
なんかを書くといいでしょう。

 本書での筆者の主張はとても共感できる。しかし私は、リテラシーとリスクマネジメントだけでは不十分なのではないかと考える。例えば、学校裏サイトは、教室という閉塞的な空間がネット上に生み出した、自由で匿名可能な空間である。そのため、リテラシーだけでは解決できず、教室とインターネット、この二つの空間を比較して考察する必要があるのではないだろうか。教室のあり方を変えることが、この問題解決の糸口になるのではないかと私は思う。

 ここでおすすめしたいことは、ただ課題文献1冊だけを読むのではなく、同じテーマについて論じられている別の文献を読むといいです。
次回は、慶應通信入学を確実なものにするにはどうすればいいかを書きます。
(志望理由と自己PRの書きかたについては、ここでは省略します。)