慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

勉強に関して思うこと

 私は、中学受験の合否は「親」、高校受験は「怠惰との戦い」、大学受験は「鬱との戦い」だと思っています。中学受験で重要なのは、もちろん児童のヤル気も重要なんですが、親が子供に対してどのように接するかで、合否が左右されると思っています。中学受験の精神的負荷は結構大きいです。合格不可能な中学を目指すよう親から言われ、受験まで勉強をひたすら続けている子供の数は多いです(私もその一人です)。これはデスマーチと同じです。子供が潰れそうになったときは、タオルを投げてあげる勇気も必要だと思っています。
 高校受験と大学受験は書いたとおりです。高校受験で落ちたら、それは怠けによるものです。なた、大学受験は怠けていては合格はできません。怠けると言うのは大学受験以前の問題です。頑張っても報われない、報われないから心が沈む。まさに鬱との戦いです。その戦いに制したものが、合格を勝ち取ることができるものだと思っています(私は慶應通信よりも、慶應の通学課程の入試の方が難しいと思っています)。
 じゃぁ、大学の勉強って一体何だろう、ということを少しだけ考えてみました。
 私が前の大学に通っていたとき、同級生にGさんという中学からの留学生の方がいました。Gさんは私より4歳くらい年上です。中国とロシアの国境と接する、黒龍江省という寒いところに住んでいました。中国の大学で日本語を学び、その後そこで1年間働いてから日本にやってきました。その後、1年ほど語学学校に通い、私と同じ大学に入学しました。
 Gさんは、日本に来て、中国で働いた1年分の貯金(およそ10万円)が、1か月分の家賃と食費であっさりと消えてしまったと言っていました。中国人コミュニティを頼り、アルバイトで必死に食いつなぎ、語学学校で日常生活に耐えうる語学力を身に付け、しばらくの間大学への入学資金を稼ぎ、何年か経って、何とか大学に通えるようになったそうです。間違いなく、当時は必死だったと思います。その話を聞いて、私は身を引き締めました。翌日には緩んでましたが。
 そんなGさんを支えたのは、意地と「故郷に錦を飾」りたいという思いでした。今の日本では「故郷に錦を飾る」という言葉は聞かれなくなってしまいましたが、中国ではその言葉が今でも残っています。中国は日本と比べて地域による経済格差がかなり大きいですから、村から都会へ出るだけでも一大決心なのです。Gさんは見た目弱そうですが、名物アムール虎のような精神力で大学生活を乗り切って、その後他大学の大学院に進まれました。
 Gさんの場合、怠けていれば資金が底をついてしまいます。一方、悩んでも鬱になっている暇なんてありません。日本が辛くなって、これまで住んでた下宿を引き払ってしまうと、これまでの努力がパーです。
 この話を思い出して、大学の勉強は、怠けや鬱との戦いでもあるんですが、自分の意地による戦いなんじゃないかなと思いました。