慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

ライフ・ヒストリー(1)

 卒業論文だけに限らず、修士や博士を含めて、いい意味でも悪い意味でも一番エキサイティングな研究は一体何かと言うと、私はライフ・ヒストリー(生活史)だと思っています。他人の生活や文化につかりこんでみることは、非常に楽しいことだと思います。研究にのめりこみ、博士まで進む人がいる反面、下手をして心を病んでしまう人もいます。それが、ライフ・ヒストリーです。ライフ・ヒストリーに関して、はてなキーワードにはこのように書かれています。

「生活史」あるいは「個人史」と呼ばれることもある。単純にいうと、「個人が過去の生活や一生について話した記録をもとに、何かを明らにする」という意味の言葉だ。「社会学」「人類学」など、主に、学問の用語として出てくることが多い。「異文化」や「少数民族」、「都市のマイノリティー」や社会問題など学問対象にするときに使われる手法だったりする。
はてなキーワード『ライフ・ヒストリー』

 簡単に言うと、聞き取り調査です。世界、というか日本の中でもいろんな人がいます。その人から聞き取り調査を行うことで、その人の人生から、「何か」を引き出します。一番有名な研究が、トマスとズナニエツキの『ポーランド農民』なんですけれども、私は読んでなくて全くわからないので「きょうだい児」の例を出してみたいと思います。
 きょうだい児というのは、障害児の兄弟姉妹を意味します。普段、障害児に関する研究では、本人や母親にスポットが当てられたものが殆どなのですが、兄弟姉妹に焦点を当てたものは少ないです。障害児というと、本人や母親が一番大変だと思われがちですが、きょうだい児も大変です。障害児の面倒を見るのは両親だけではなく、きょうだい児もそうなのです。きょうだい児は、小さくして障害児の面倒を見ないといけないという宿命を背負っています。また、両親からあまり構ってもらえず、寂しい少年時代を送りがちです。親が片親だとほぼ地獄です。
 きょうだい児は、兄弟に障害児がいるゆえに、他とは違ったライフイベントを送ります。
 一つ目は結婚。兄弟に障害者がいることは、結婚に大きなハンディとなります。以下は障害児(ダウン症)を子に持つ方のブログです。

仮定として、わたしに障害をもつ子どもがいなかったとして、そしてたとえばわたしに弟と妹がいたとしたら。
弟が「障害児のきょうだい児」と結婚したいと言ったら、いかにそのことがハンディになったとしても、「よしオマエが決めたんだから、オマエの人生がんばれ」というだろうなと。
しかし、妹が「障害児のきょうだい児」と結婚したいと言ったら、反対とは言わずとも、「再考を」とは言うだろうなと。
「家」というものは、諸雑事が全て「女」にかかってくる。
結婚することで、成人した「障害のある義きょうだい」に関しての諸雑事は、全てあなたに直接ふりかかってくる可能性は高い。
そのことを冷静に判断して、相手のきょうだいを自分のきょうだいとして、本当に覚悟して受け入れられるのかと。
で、「ああ、確かにハンディはあるなあ」と思った。
S嬢のPC日記『「障害児のきょうだい児」の恋愛と結婚』

 現代は、障害児の家族に対する見方が大きく変わっていると言われます。昔は、差別を恐れて、兄弟姉妹(以下、兄弟と略します)に障害者がいることを隠しているきょうだい児が多かったと聞きます。しかし現在は、周囲の目は変わってきており、理解のある人が増えているようです。むしろきょうだい児は「頑張っている子」というイメージで見られることが多いそうです。私もそう思ってしまいます。
 しかし、その反面生活に制約が付きます。遊んでいるとき「お前は兄弟の面倒は見なくていいのか」という、他者の目を勝手に想像してしまい、思うように遊べなかった、ということがあるそうです。
 障害児のいる家庭は、養護学校のイメージから、「温かな家庭である」と想像されがちですが、それは家庭によりです。暖かい家庭(溺愛)もあれば、殺伐とした家庭もあります。ただ、概して障害児よりも障害の度合いが軽度な、発達障害の子供の家庭は殺伐としており、発達障害者当人をきょうだい児が激しく憎悪しているケースが多いように感じます。
 また(これは、初めて知ったことなんですが)きょうだい児は、クラスの問題児の面倒見係を押し付けられることが多いそうです。

「障害児のきょうだい児」が「学級内のいわゆる手のかかる子との関わりで、お世話役にされた」という話はけっこう多い。直接的な指示もあれば「必ず同じクラスや同じ班」のような暗黙の了解的な場合もある。親から聞く話もあれば、きょうだい児本人から聞く話もある。そしてネット上で「きょうだい児の経験」として見た機会も少なくない。きょうだい児に対して、自分自身の思考や行動の選択を奪いかねない圧力としてはけして小さいものではないと思う。
S嬢 はてな『教員に実態調査をして欲しいこと』

 発達障害ADHDアスペルガー)は、ダウン症などと比べて人々の理解が少ないです。最近になって関連書籍が出版されるようになりましたが、まだまだです。発達障害の子は、養護学級ではない、普通のクラスに入れられます。突然爆弾のように怒って暴れだし、他人の髪の毛を引っ張ったり、大怪我を負わせたりするために、周りの子供たちから避けられます。そのため、同じ小学校に通うきょうだい児も変わった目で見られがちです。
 また、障害の度合いは何であれ、自分の子供が障害児として生まれてくるのではないかと怯え、なかなか結婚や恋愛に踏み切れない人も多いです。特に、発達障害児のきょうだい児の場合は、「自分の子が兄弟(発達障害児)のようだったら」と思うとゾッとするらしいです。無理もないです。


 マイノリティ研究は、時として人が抱えている心の闇に足を踏み入れてしまう可能性があります。こうした研究で大きな成果を上げる研究者がいる一方、心を痛めてしまう研究者も多いです。そのため、私は始めから楽しいことを卒論に書こうと思っていました。
 卒業論文を「使命感」から書こうとすると、痛い目に遭うことがあります。
 しかし、でっち上げるのが一番簡単なのが、このライフ・ヒストリーかもしれません。