「まじめの罠」というのは、勉強や仕事で成果が出ないときに陥りやすい思考です。自分が一生懸命頑張っても報われていないと感じるとき、ものごとがうまく進んでいる人に対して「努力をしていないのに、何かズルをしているに違いない」と思い込むことです。時として被害妄想に陥り、攻撃的になります。
- 作者: 勝間和代
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2011/10/18
- メディア: 新書
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この本をお書きになったのは、勝間和代さんという方です。有名なので、大抵の方は知っているでしょう。勝間氏はブログで、「まじめの罠」に嵌(はま)っている人が、うまくいっている人を引きずりおろそうとするエネルギーを「義憤」であるとしています。対象が本来のあるべき(と当人が考える)評価に落ちるまで、そのエネルギーはしぶとく持続します。時に周りからすると粘着的に見えます。
彼女は「義憤」に囚われた人たちが取りがちな手法を、このように表しています。
1. 自分の考えを、「一般の人」「知性のある人」「男性」など、他の大きなカテゴリーに置き換えて、その代表であるかのようにコメントする
ポイントは、自分はこう思った、で終わるのではなく、自分かそう思ったのだから、みなもそう思っている、と切り替えるところです。あるいは、自分の感じ方は、多数の人にそうである、という類推を表明します。
2. 全ての行動の中から、1つでも多くのミス・まちがいを指摘して、その人の信用力全体を否定する
このようなミスを行う人間なのだから、全てにおいて信用力がないだろう、と断定します。その時のポイントは、ひたすらネガティブなことだけをクローズアップすることです。
3. 自分たちでルールを作り、相手がそれに従ったかどうかで行動を評価する
私が書くと「著者は出てくるな」といい、しばらく書かないと「尻尾を巻いた」となります。どこに転んでも、正当化できるのです。あるいは、著者への味方コメントがつくと、「本人疑惑」を浮上させ、あるいは「参考にならない」を一斉に押して画面から消し、そして、「ほら多くの人がそう思っている」と言います。
4. 最終手段として、「(カルト的な)宗教」になぞられて、ファンについては教祖とそれに従う人、そしてだまされている、という文脈で話す
ここまで自分たちが情報開示をしてもさらにそれでも買う人たちがいるのは、それが「カルト的な宗教」であるといういい方です。もちろん、宗教一般は信仰の自由があり、教祖、宗教、という形で揶揄の手段として使うこと自体も問題です。
「まじめの罠」から抜け出すには、「PCDAサイクル」というものを上手に回していくことが秘訣であるそうです。私はビジネスに疎い人間なのでわかりませんでしたが、Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の4段階を繰り返すことによって、ものごとを継続的に改善していく方法です。
私には、それができるかどうかわかりませんが、意識して、自分の生活習慣を見直していきたいと思っています。