慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

地理学2(3)

 過去のレポートが出てきたので掲載したいと思います。当時は、小説を読んで、その舞台を地理学的に説明せよというものでした。おそらく、慶應通信で一番手の抜ける科目だったと思います。5章ほどからなる本でしたが、私はこの本の1章しか読んでいません。それでも充分書けました。
今は少し難しく(というか面倒に)なっていますが、まぁ、何とかなるでしょう。
 私が選んだ本は、森見登美彦夜は短し歩けよ乙女』です。ウィキペディアには以下のように書かれています。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 『夜は短し歩けよ乙女』(よるはみじかしあるけよおとめ)は、2006年11月に角川書店より出版された森見登美彦による小説作品。第20回山本周五郎賞受賞、第137回直木賞候補、2007年本屋大賞第2位。
 京都大学と思われる大学や周辺地域を舞台にして、さえない男子学生と無邪気な後輩女性の恋物語を2人の視点から交互に描いている。諧謔にあふれる作品で、ときに現実を逸脱した不可思議なエピソードを交えている。古い文章からの引用が多い。タイトルは吉井勇作詞の『ゴンドラの唄』冒頭からとられている。

 以下、私のレポートです。

はじめに
 このレポートは、森見登美彦による小説、『夜は短し歩けよ乙女』において、その舞台である木屋町先斗町(ぽんとちょう)などの歓楽街がどのような役割を果たしているかということを明らかにすることを目的としたものである。この先斗町京都市中京区の加茂川と高瀬川に挟まれた繁華街である。これらは他の繁華街と異なり、独特の趣がある。石畳や京町屋を改装した飲食店、中でも納涼床は京都でしか見ることができない。作品中ではこうした京都の風景が森美のマジック・レアリスムの手法と重なり、幻想的な雰囲気を醸し出している。
 さて、このレポートでは小説において、この繁華街が果たす役割について考察を行うが、それに先あたって、第一章では、この物語の第1章である「夜は短し歩けよ乙女」の要約を行う。そして第二章では小説中における木屋町先斗町について、その雰囲気が作品にどのような影響を与えているのかということについて説明を行いたい。

第一章 『夜は短し歩けよ乙女』、要約
 この物語は、主人公の男性「先輩」と、同じサークルの後輩「黒髪の乙女(以下、乙女)」の二人の視点から描かれている。「先輩」は「乙女」に恋愛感情を抱いているが、なかなかそのことを言えないでいる。この先輩と乙女は、彼らの共通のサークルの先輩の結婚式に招かれ、木屋町にて再会する。しかし、主人公ら二人はあまり新郎新婦のことを知らないため退屈になり、一次会で席をはずすことにした。乙女は宴会でお酒をたくさん飲みたいと思っていたが、新郎新婦に遠慮して余り飲むことができなかった。そこでお酒をたくさん飲めるバーを探した。一方先輩はそんな乙女を追おうとしたが、途中で見失ってしまう。
 そして乙女と先輩は先斗町の中、別々のところで飲み歩き、その過程で様々な人と出会う。酒豪で酔うと他人の顔を舐める癖のある羽貫という女性。曲芸が得意で天狗と呼ばれる樋口。そして痩せた無精髭の男東堂。東堂は新婦の父である。彼は錦鯉を育てて売る商いをしていたが、それに失敗し「李白」と呼ばれる人物から多額の借金を負っている。そこで春画のコレクションを売りさばくことで、借金を返そうとした。
羽貫は乙女らを誘い、他の宴会をしているグループに紛れ込み、タダ酒を頂戴しようとする。そこでたまたま「詭弁論部」と呼ばれる京都大学のサークルの宴会にもぐりこむ。この「詭弁論部」は屁理屈を論じることを目的としたサークルである。このサークルは宴会にて「詭弁おどり」というウナギのような奇妙な踊りを踊るという変わった伝統を持っている。その宴会から抜けると、次は還暦を迎える詭弁論部のOBたちと出会った。そのOBの中に新郎の父がいるのだが、乙女らは彼らともすぐに仲良くなった。そして話が弾み、乙女が李白と「偽電気ブラン」という酒の飲み比べ勝負を行おうという話になった。その後、偶然彼らと現役の詭弁論部のメンバーと彼らが居合わせ、話が盛り上がり、全員で李白を探すこととなった。
一方、先輩はひょんなことから、羽貫らに仲間はずれにされた東堂と出会い、別の料理屋で酒を交わすことになる。その料理屋の大座敷で東堂の春画の競売が行われるが、先輩はその場の雰囲気で仕方なく付き合うことになった。しかし競売の最中に、それに参加した一人が、乙女と李白の飲み比べの話を聞きつけ、競売に参加していたメンバーがいっせいに飲み比べの場に行こうとする。自分のコレクションを蔑ろにされた東堂は発狂し、春画を次々と破り捨て、その後自らの人生も投げ捨てようとした。
しかし運悪く、その店の前で先輩らと乙女らが出会うこととなる。更に、新郎新婦らの○次回とも出会わせ、場は騒然とする。
そのとき、華やかな三層建電車が現れ、李白が登場する。李白は東堂の借金をチャラにするという条件で、乙女と偽電気ブランの飲み比べを行うことを承諾した。そして二人は飲み比べを行うが、そうしているうちに和やかな雰囲気になり、李白は乙女に向かって「夜は短し、歩けよ乙女」と囁く。最終的に、乙女は李白勝利し、宴会は大円団を迎えた。
宴も酣になると、誰かが「そういえば、我々はなぜ今夜集まったんだっけ」という言葉を発した。すると酔っ払った乙女は三層建電車の屋上へと足を運んだ。電車の屋上には笹藪と古池があった。そして、その池の周りにはを蛍が舞っていた。そこで東堂が、この池に「あの鯉たちが帰ってきてくれたらなぁ」とつぶやくと、不思議なことに過去に竜巻で失った鯉たちが、隕石のように古池に飛び込み、東堂は大いに喜んだ。やがて李白の電車は先斗町の南へと消えてゆき、人々は愉快な気分でそれを見送った。

第二章 物語における木屋町先斗町
 以上が物語の要約である。では、その物語の中で風景はどのような役割をはたしているのか。そのことについて、以下で論じて行きたい。

1.華やかさと粋さを持った繁華街
 冒頭にも述べたが、木屋町先斗町は繁華街の中でもかなり独特である。京都の都心部に位置し、金曜もしくは土曜の夜になると、これらの町は学生や会社員で賑わいを見せる。京都の繁華街は東京や大阪のものと比べて狭いが、その中にいろいろな特徴を持っている。例えば石畳や提灯、幟(のぼり)、そして竹障子、こうしたものがいかにも京都らしい風情を感じさせる。また、少し離れた祇園では、ネオンが華やかにきらめき、それが怪しげで艶やかな雰囲気を醸し出している。
 こうした街は、大学生にとって極めて魅力的に映る。というのも、自分の行動範囲が広くなった大学生にとって、真夜中の繁華街初めて行う冒険である。
「通りかかった四条木屋町の界隈は、夜遊びに耽る善男善女がひっきりなしに往来していました。その魅惑の大人ぶり!この界隈にこそ「お酒」が、めくるめく大人世界との出会いが私を待ち受けているに違いないのです。」(森見 2005:13)
しかし、この繁華街は他のものと比べ、何か違うものを持っている。それは粋である。
「堂々たる恰幅の旦那衆が、万里の長城ぐらい敷居の高そうなお店へ悠々と入っていくのもお見かけしました。これぞ先斗町の格調というべきでありましょう。門をくぐった石畳の路地奥では、私などには想像もできない粋のかぎりを尽くした大人による大人のための大人の遊びが繰り広げられているに違いないのです。そうなのです。興味深いことです」(森見 2005:37)。
京都の飲食店の中には「いちげんさん」といい、誰の紹介もなく店に入ることは禁じられているものは少なくない。京都人は他県の人と比べ閉鎖的であると言われるが、それは「いちげんさん」制度の存在によるものであると考えられる。しかし、一旦店に入ってしまえば、非常になれ親しい空間となる。先輩や乙女は東堂を初め、多くの人物と出会うが、そうした人々と打ち解けることができたのは、そうした京都の飲食店が持つ雰囲気ではないかと考えられる。それが京都の粋である。
なかでも、そうした雰囲気を醸し出しているのが、李白が乗ってやってくる三層建電車である。「叡山電車を積み重ねたような三階建の風変わりな乗り物で、屋上には竹薮が繫がっているのが見えました。車体の角にはあちこちに洋燈が吊り下げられて、真紅に塗られた車体をきらきらと照らしています。色とりどりの吹流しや、小さなこいのぼり、銭湯の大きな暖簾などが、車体の脇で万国旗のようになびいているのも見えます」(森見 2005:57)。この電車の屋上には古池と笹薮があり、蛍を見ることができる。蛍のいる繁華街は、おそらく京都だけであろう。この華やかな電車は、乙女の憧れる京都の繁華街のイメージが投影されたものではないだろうかと考えられる。
 
2.学生のための町
 木屋町先斗町が担うもうひとつの役割は、人々に学生の町であることを印象付けることである。京都は学生の数が非常に多い。京都市内には京都大学のほかに、同志社大学立命館大学龍谷大学など規模の大きい大学がたくさん存在している。そうした大学に通う学生たちが夜に集まるのが、木屋町であり先斗町である。京都にはどの飲み屋にも必ずと言っていいほど学生がいる。京都市内の交通の便は余りよいとは言えず、電車やバスよりも、自転車を使ったほうが便利である。そのため下宿をしている生徒ならば、終電を気にせず飲んでいられるのである。
 こうした学生たちの中には、酒を片手に議論を行う者もいる。学生運動のなくなった現在では少なくなったが、京都大学同志社大学界隈ではマルクスサルトルなど、哲学者や社会学者の文献の輪読会が盛んに行われる。そこで行われた議論が飲み屋に持ち越されるのである。
 物語に出てきた「詭弁論部」もそうしたサークルである。現役の高坂は酔った勢いで持論を展開する。「自分が惚れた男と結婚するのと、惚れていない男と結婚するのとじゃあ、惚れていない男と結婚するほうがいいよね」、「なぜならばだ、惚れると理性を失って正確な判断ができなくなる。したがって惚れた男を選ぶよりも、惚れていない男を選ぶほうが理性的な選択ができるわけだ」(森見 2005:34)。こうした議論が京都の飲み屋で延々と行われる。また還暦の会で集まった詭弁論部のOBたちも、学生時代の思い出に花を咲かせている(森見 2005:43-4)。このように、木屋町先斗町は議論の場、そして青春の場として、作品の中でイメージ付けているのである。

さいごに
 以上において『夜は短し歩けよ乙女』において木屋町先斗町が果たした役割について述べてきた。こうした繁華街は、物語において二つの大きな役割を果たしている。一つ目は、大学生の冒険心をくすぐる場であると同時に、京都独特の粋を伝えること。二つ目は、若者の議論の場、青春の場として読者に印象付けることであることを明らかにした。
 ところでこの作品は全部で4章からなる物語である。そのため、残りの3章に描かれている京都大学下鴨神社について、それがどのような役割を果たしているかについて記述することはできなかった。それを今後の課題としたい。

■ 参考文献
西岡秀雄『地理学?−地誌学−』1978、慶應義塾大学出版会株式会社
正井泰夫『歴史で読み解く京都の地理』2003、青春出版社
森見登美彦夜は短し歩けよ乙女』2005、角川書店