慶應通信! r.saitoの研究室

慶應義塾大学通信教育課程のブログです。皆さんの卒業を応援します。

対比法(1)

 卒業論文を書くとき(だけでなく、入学の論文のときも)、過去と今を比べてみる、という手法は結構使えます。過去は何度も繰り返します。ヨーヨーやミニ四駆などの流行や戦争や政変などの歴史的事件、金融トラブルなどの会社内事件などもそうで、これまで似たようなことが何度も繰り返されました。
 しかし繰り返されると言っても、出来事が全く同じように繰り返されるわけではありません。最初に起こった事件と2度目に起きた事件とでは、もちろん何らかの要素が違っています。その違いに着目すると、論文が書きやすくなります。
 例えば私は卒論でケータイ小説について書きました。ケータイ小説というのは、女子中高生がケータイで読み書きするものです。小説はウェブサイトに併設されている掲示板(やブログ)で行われるコミュニケーションを元にして作られることが多く、読者の意見が小説に反映されます。また、小説の感想が掲示板に書かれ、ケータイ小説と掲示板は互いに影響しあって存在しています。
 こうした小説は画期的なものとして人々に受け止められましたが、こうした形式の小説は既に18世紀のヨーロッパ(英仏独)に存在していました。カフェ(サロン)という空間に人々が集い、小説などについて話し合い、それが新しい小説に反映される…以下同文です。当時のヨーロッパで人々をつなぐのは、手紙や日記でした。これらは、予め多くの人々に開示されることを目的としたものが多く、現代のネット掲示板やブログに通じるところがあります。
 しかし、当然ながら18世紀のヨーロッパには携帯電話はありませんでした。そこで(めちゃくちゃ端折って説明すると)、携帯電話がなぜ、昔のカフェのような空間を再現することができたのか、というのが私の卒論の内容です。


 このように過去と現在を比べると、似たことというのが現れます。過去の記事に、総合科目の文学『阿Q正伝』に関して書きました。主人公、阿Q(Qちゃん)の必殺技は「精神勝利法」です。これは、周りから見て明らかに負けているのに、自分の心の中でそれを勝利に置き換える思考法です。作者の魯迅は、清朝末期の中国人の様子を阿Qにたとえ、痛烈に批判しました。小説によって中国国民を啓蒙しようとしました。
 しかし、この精神勝利法は現代日本の我々の得意技でもあったりします。人は人と比べて、自らが優位に立とうとします。ある者に学歴で負けているならば収入で勝とうとしたり、収入で負けているならば容姿で勝とうとします。まぁ、たいてい他人と比べようとしている点で既に負け組なんですが。清朝末期の中国では精神勝利法は無力でしたが、現在では頭に数字のつく場所があるため、幾分強くなっています。と言っても、虚しさは過去とは変わらないと思いますが。ちなみに私は抗うことができず、そこから逃亡しました。
過去と今とを比べて、それがどのように違っているか、その違いを生み出している社会的要因は何かを探ると、卒論が書きやすくなります。